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2007-06-08[n年前へ]

世界の何処かで響く音 

 アメリカからきた知人に「民族音楽を聴きたいと思う?」と聞いた。すると、「いや、そうは思わない」と彼は答えた。確か先週は、「季節が変わる頃には、ベトナムやカンボジアに行ってみたい」と言っていたはずだ。とりたてて奇妙だというほどではないけれども、その言葉はやはり意外に聞こえた。そして、民族音楽が好きな私には、その言葉が少し引っかかった。だから、「何で民族音楽を聴きたくないの?」と聞いた。

 すると、彼はとてもシンプルに言った。

 民族音楽は、ぼくの小さな部屋で、小さな音で聞く音楽でもないし 電車の中で、ヘッドホンをかけて聞くものでもないから
 そして、こんなことを話し出した。

 民族音楽は、土地に根付く植物みたいなものだと思う。 大地に息づく草や木は、その芽を育んだ水や土や空気から離れて存在できるものではないのと同じように、民族音楽も、生まれ育った場所から切り取って、他の土地に持っていくことはできないだろう?もしも、他の場所へ持って行った時には、フリーズドライされたインスタント食品みたいなモノに変わってしまうんじゃないだろうか。

 確かにそうかもしれない。旅する場所、その先々で聴く音楽、街に流れている音楽が、私は好きだ。あの音は、その場所で、その空気に浸かっているからこそ素敵に感じるのだろう。そこで聞くからこそ、生き生きと新鮮に、そして、奥深く感じるのだろう。

 いつか、「民族音楽は聴かないの?」と聞かれたら、私も真似して言ってみよう。

 通勤電車の中で、iPodで聞く音楽じゃないから。

 色んな場所に行ってみる。その土地を包む音楽を肌で聴き、土地の空気に響く音に振り返り、空気に染みこむ匂いを鼻の奥で嗅ぎ、その場所を包むものを味わいに行く。私は色んな場所に行ってみる。

2008-05-24[n年前へ]

「大村益次郎」の頭 

 私が大村益次郎の肖像画を描いたキオソーネであれば、「コノアタマ、スコシ、ヘンデス!」と、何度も確かめただろう。しかし、益次郎の弟子は、「シ、然り。されど師匠はまさにこのようでありまして……」
 南伸坊は天才である。南伸坊が雑誌「旅」に連載したものが本になったのが、「歴史上の本人」だ。10年前の本である。その人のなりをして、その人が過ごした場所に行き、その人になって感じていく。
 神技とおそれられた大村益次郎の軍略とは、つまり「情報」であり「技術」であり、「近代」であり「合理主義」であった。……つまり、大村益次郎は、その頭によって必要とされ、その頭によって殺された。
 「この頭部は……」と私は頭部をまた脱ぎながら思った。見掛けの滑稽さに似つかわしくなく深刻である。
 大村益次郎には、平時に、学者や研究者として生かしてあげたがった。知ることの楽しさ、一途にそこにつき進んで、家庭に帰れば冗談を言って笑い転げるような、そんな生活をさせてあげたかった。そうしていたら、明治維新がならなかったとしてもだ。
  南伸坊 「歴史上の本人」

大村益次郎






2009-08-16[n年前へ]

新しい出会いもまた楽しいけれど 

 「ニッポン放浪宿ガイド200―人生を変える旅、運命を変える宿 」から。

 人が出てベットが空けば、そこに別の人が入居する。それがGH(ゲストハウス)の自然な流れだ。新しい出会いもまた楽しいけれど、もとの仲間たちとの生活は、二度と戻らない。

 今度、今年(2009年)の春に発売された、「新・ニッポン放浪宿ガイド250 」も読んでみよう。

 それと、他の安宿ガイドとかと違って、この本の宿紹介文には、作っている人の愛情を感じます。

Amazonブックレビューより

2010-02-12[n年前へ]

「場所と人の関係」は「恋愛の関係」に似ている 

 角田光代 「恋するように旅をして 」(旧題「恋愛旅人」)の「ポケットに牡蠣の殻」から。

 場所と人の関係というのは、恋愛にひどくよく似ていると思う時がある。
 この文が書かれるまでの流れ、そしてこの文が唐突に始まる、その流れが小気味よい。文章の一節ごとの繋がりが、そして、それら文章の一節ごとの跳ね具合が、まるでコブ斜面を蝶のように舞うスキーヤ―を見ているような心地になる。
 場所と人の関係が本当の恋愛と決定的に違うことがたったひとつだけある。
 前の一節、次の一節・・・前のコブ、次のコブ・・・力を抜いて跳んで、体を固めて次へ飛ぶ。そんな動きを眺めているような気持ちになる。

2010-06-04[n年前へ]

Don't Stop Believin'  

 Glee によるJourneyの"Don't Stop Believin'"から。

Some will win, some will lose.
Some were born to sing the blues.
Oh the movie never ends.
It goes on and on and on and on.

Don't stop believing.
 「sing the blues」はブルースを歌うってことから、「泣き言を言う、愚痴を言う、弱音を吐く」という意味になります。
勝つヤツもいる 負けるヤツも、
泣き言を言うために生まれたヤツもいる。
この映画はずっと終わらない。
そんなことがただ続く。

Don't Stop Believin'.



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