hirax.net::Keywords::「編集者」のブログ



2008-05-06[n年前へ]

「舞台裏」 

 マンガ家の西原理恵子が「サンデー毎日」に連載していた4コマ・マンガとエッセイをまとめたものが、1993年に毎日新聞社から出版された「怒濤の虫 」だ。西原理恵子は、「あのコラムは毎日新聞の担当の方が、私の文章を手直ししてくれているんです。時には、原文の姿がどこにも見当たらないほどに」というようなことをどこかで書いていた。その言葉を当然のように受け入れられるほど、確かに「怒涛の虫」はいかにも手馴れた具合で言葉が書き連ねられている。

 世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、ということになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を続けている人にとって、舞台は何なのだろう。
 少し前、河合さんの文章を読み、ずっと思い返していたのは、「怒涛の虫」の中の「死んだのはひとりの芸術家でした」という文章だった。
 彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。
 「怒涛の虫」の中で、(唯一といってよいと思う)4コマ・マンガが描かれず文章だけが書かれていたのが、「死んだのはひとりの芸術家でした」だった。西原理恵子と担当編集者が書いた言葉の割合はわからないけれど、若い頃の西原理恵子の「番外編」のような内容で、なぜかずっと忘れられない。
 死んだのは、フリーアルバイターではなく、ひとりの芸術家でした。

 当時のサンデー毎日の”担当S”、今は毎日新聞で「毎日かあさん」の担当をしているのが、毎日新聞出版局の志摩和生だ。「毎日かあさん 出戻り編 4」の「後ろ見返し写真」には、フリーカメラマンの鴨志田穣の笑う姿とマンガ家の西原理恵子の後姿が写っている。この写真を撮ったのは、カメラのファインダーを覗いて、そんな景色を切り取ったのも志摩和生氏だ。そうだ、あの”担当S”氏だ。

 本が作られるまでの裏作業、写真を撮影するための作業、舞台の上で演じられる演劇の舞台裏…そんなことを見るのも良いな、と時折思う。華やかな舞台の舞台裏や、それとは程遠い舞台裏を知りたい、と時々思う。

2008-08-04[n年前へ]

「1秒間に2回の運動は”エンディング”近く」の法則 

 どんな業界でも「その業界のプロには”見れば”わかる」ということがある。

 AV業界の監督さんが「HカップかJカップかは"一目見れば"わかる」と言っていた。計測器も真っ青の「プロの目」だなぁ、と感心させられた。そして、AV業界と言えば、編集者が書いていたこんな言葉にも驚かされた。

 ちなみに、一秒間に2回の運動は結構激しいですから、そういう動きを横目で見るだけで「あぁ、エンディングが近いんだ」とわかります。
 ビデオ画像を一目見ただけで、そのビデオのコンテキスト(文脈)解析をして、「今目に入った場面が」全体のどこに位置しているかを一目瞭然に判断しているわけである。まさに「プロの目」である。

 以前「アダルトビデオの動画解析」をしたことがある。この時は15秒間の動画からオプティカルフロー(動き)を解析したのだが、全編に渡って動画の動きを解析し、ビデオのコンテキスト(文脈)解析をしてみるのも面白いかもしれない。もしかしたら、すでに「オプティカルフロー計算→コンテキスト解析解析→スクリーンショット作成」といったフローがアダルトビデオサイトのバックエンドでは動いていたりするのかもしれない。

 今度、「1秒間に2回の運動は”エンディング”近く」の法則を使った”スクリーンショット作成”WEB APIを試しに作ってみることにしようか。

周波数






2009-08-31[n年前へ]

スラッシュドットの「関連ストーリー」作成アルゴリズムは・・・!? 

 ふと、『スラッシュドットの各記事に対する「関連ストーリー」作成アルゴリズムはどのようになっているのか』が知りたくなりました。

 私のサイトでも、各記事に対して「関連お勧め記事」を表示しています。関連記事の抽出は、各記事に付けられたキーワードの重複度を基準にしています。一人の人が書くサイトの場合には、こういった単純なアルゴリズムで充分な精度が得られるように思います。

 スラッシュドットのシステムを支えているコード”Slash”を眺める前に、ためしに、「スラッシュドット AND 関連ストーリー」で検索をかけると、こんな投稿が見つかりました。

 関連ストーリーは URL をチェックしていて、 /. のストーリーもしくはコメントしか入れられません。
 ・・・ということは、スラッシュドットの「関連ストーリー」作成アルゴリズムは「(編集者の記憶と推敲作業を結晶させた)ガッツで手作業」で実現されているのでしょうか。スラッシュドットを動かす、ソースコード”Slash”の詳細を眺めるのは大変そうなので、まずは概略を知りたい今日この頃です。

2009-10-08[n年前へ]

「雑誌」について考える 

 無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか? を、さらに続けます。GRAPHICATION(グラフィケーション)の最新号である 2009 No.164 通巻353号 特集「雑誌を考える」から、気になった言葉を書き写してみることにします。これらの言葉は、すべて「雑誌」に向けられた言葉です。

 雑誌の愉しみ方にはいろいろあるが、総じて雑誌が、知る喜び、読む楽しみにつながる知的訓練手段であることにも目を向けるべきではないだろうか。

巻頭言

 雑誌というのは本来、それを始めた人の志が常に続いていくのが基本です。

池内 紀

 歴史学者のE.H.カーは「歴史とは何か」と問われて、「それは現代の光を過去にあて、過去の光で現代をみることだ」と答えている。

佐野愼一

 パラパラと紙を操るたびに似ても似つかぬ雑多なパラレルワオルドが目まぐるしく展開していくこの構造は、ネットサーフィン(もう死語かな)とは似て非なるものだ。関連記事のみに相互リンクが張られ、検索すべきキーワーすら思いつけない未知の世界には永遠にたどり着けそうにないウェブの構造に、そんな雑誌の構造的快楽を「移植」するのは、それほど簡単なことではないのだ。

山崎浩一

 若い人は(書くのに慣れていない年寄りも)専門のことしか頭にないから、どうしても単調で硬い文章になってしまう。ありていに言えば、読んでいて楽しくないのである。
 わかりやすく、深みのある文章にするためには時間をかけねばならないが、まだ片手間仕事の意識が強いから書き飛ばしになっていることもある。
 また、専門の話だけでなく、もっと話題の幅を広げてくれればいいのだが、なかなかそうにはなっていない。科学は想像だけで書けるものではなく、事実の蒐集が不可欠なのだが、その余裕を持って執筆しないのだ。
池内 了

 雑誌について本誌は1975年10月号で「雑誌考」という特集を組んでいる。「雑誌とは何か(PR誌というあり方を含めて)を読者と共に考えたい」と編集後記にあるので、今回とほぼ同じ主題を扱っている。30数年を経て、何が変わり、何が変わらないかを確認したいという思いと、雑誌を取り巻く環境の問題もあり、今回の特集号を組むことにした。

編集者 (T)

 さて、GRAPHICATIONの定期購読申し込みはされたでしょうか? 読みたくなっては…きませんか?

2009-10-11[n年前へ]

「雑誌」の寿命 

 編集者の姿が見える雑誌というものがある。そういう雑誌に寿命があるのは自然なことなのだろう、と思う。たとえば、少し変な例かもしれないが、「噂の真相」なんていう雑誌も、そんな雑誌のひとつだったのかもしれない。

 堀井憲一郎「落語の国からのぞいてみれば (講談社現代新書) 」の一説を読んでいて、雑誌の寿命というものを連想した。

 何が残ろうと、死んだらおしまい。そう送ってあげるのがいいんだよと、落語は教えてくれています。それは残ってる者がしっかり生きろというメッセージでもあるわけで、動物としてはそういう生き方が正しいと思う。

 さて、これも、グラフィケーション(GRAPHICATION)に関して考えていた時に(無料の「ネット記事」を読むなら、無料の「GRAPHICATION」も読みませんか?)、ふと連想したことの「ひとつ」です。雑誌の作り手が消えても、その雑誌の読者が消えても、どちらにしても「その雑誌」はどこかに消えていきます。さらに、こういった話は雑誌だけに限らない話なのだろう、とも思います。



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