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2008-07-23[n年前へ]

「肌」と「昼の日差し」のスペクトル 

 夏の日差しを実感するようになりました。肌は日焼けして赤黒くなり、そんな肌はピリピリと痛く、熱っぽさすら感じます。そんな、夏の明るい景色を眺めていると、なぜか楽しくなります。

 痛いけれど日焼けする夏の日差しが気持良く感じる人もいる一方で、日焼けする夏を嫌う人も多いと思います。特に日焼けしたくない女性にとっては、夏は面倒でとても嫌な季節だったりするのかもしれません。

…と考えているうちに、ふと、夏の日差しを浴びる「肌の色」を眺めてみたくなったのです。そこで、2週間ほど前に作った「光スペクトル操作用のMathematicaライブラリ」にいくつかの色関数(スペクトル吸収関数)を追加してみました(サーバからダウンロードできるライブラリ更新は数日後になります)。追加したスペクトル吸収関数は、「血液」「カロチン」「メラニン」…といったもので、皮膚内部にある物質の吸収スペクトルを表現するための(単純化した)スペクトル関数を実装してみました。

 そういった色関数を組み合わせると、いろいろな「肌色」を眺めることができるます。たとえば、右上の図は、(どの波長も均等に含んでいるような)白色光源で照らした時に血液の反射スペクトルがどう見えるかを試しに計算してみたものです。

spectorPlot[transmissionSpector[
whiteLight, bloodColorFilter, 0.5]
]];

 ところで、こんな「色関数」を作り、適当で大雑把な「肌」を作って眺めてみました。すると、色温度6500ケルビンの標準光源、すなわち自然な昼光光源であるD65で、肌色を形作るメラニンや血液を照らしてみると、意外なほど「反射スペクトル」が平らになるものだ、と気づかされました。

 つまり、昼の日差しのスペクトルのうち、スペクトル強度が強い短波長領域では、メラニンや血液などの色吸収率が高く、その一方、「昼光」のスペクトル強度が低下する長波長域では、メラニンや血液などの色吸収率が低く、それらの結果として反射スペクトルが”結構”均等になるのだなぁ、と感じたのです。たとえば、右のスペクトルグラフが、昼光=D65光源で皮膚を照らした時の反射スペクトルの例になります(ちなみに、右下のグラフがD65光源のスペクトルです)。

 それは、単に長波長領域の光は皮膚中で吸収されることが少なく、短波長の光が吸収される、というだけのことでしょうし、さらには、人によってメラニンの分布量・形状が異なり、反射スペクトルは全然違うわけで、こんな結果も一般的なものでは全くありません。

 けれど、「昼光の逆関数のような、まるで、強い日差しから身を守るかのように最適化されたような皮膚の吸収スペクトル」を適当に作ったライブラリ関数が生成したのを眺めたとき、とても不思議なくらい新鮮さ・意外な面白さを感じたのです。

BloodColorCalotenColorMelanineColorfleshColorD65_fleshColor






2008-08-11[n年前へ]

LEONは「ヅラ」でCanCamは「ウィッグ」か!? 

 右の図は、ホワイトボードに描かれた「決して理想的ではないデコボコな”私”」(左下)が読む、雑誌LEON(左上) と CanCam(右)の違いである。

 この図が言わんとしていることは、誰しも理想的な姿や内面・経験を持ち合わせてはいないけれど、それに対して雑誌LEONやCanCamがどのようなソリューションを与えてくれるか、ということである。LEONはとりあえず「はい、コレがあれば実用的には多分大丈夫」という大雑把な外枠を与えてくれる。デコボコな自分とその外枠の間を埋める作業はテキトーで良いのである。一方、CanCamの場合には、理想的な姿・外枠が与えられたら、本来デコボコな自分をその外枠に合わせるための各種パテ・技法が説明されている、という風になる。

 それをさらに一言でまとめてしまえば、「他の人からは不自然に見えても自分が満足できれば良い”ヅラ”」か「他の人から不自然には決して見えないように工夫する”ウィッグ”」の違いのように思えてくる。つまり、LEONは「ヅラ」で、CanCamは「ウィッグ」なのだ。

 実際、右上の図はいかにも「不自然な”ヅラ”」と「ウィッグ」を描いたものに見える。……しかし、それを逆に言うなら、LEONやCanCamは「自然で緻密」か「不自然・大雑把」かという違いだけということもできる、のかもしれない。

男性雑誌と女性雑誌の違い






2008-10-30[n年前へ]

モグラ原っぱの跡地に住んでいた 

 どういうきっかけだったかは忘れたのだけれど、こどもの頃、古田足日の家に行ったことがある。何かのきっかけで、遊びにおいでと言われ、緊張しながら本を抱えて古田足日の家に行った。だから、実家の本棚のどこかには、古田足日に言葉を書いてもらった「宿題ひきうけ株式会社」と「モグラ原っぱのなかまたち」があるはずだ。

  「モグラ原っぱのなかまたち」は、学校と、家と、そして雑木林の中や原っぱで遊ぶこどもたちを主人公にした話だ。「モグラ原っぱ」を見つけ、そこで遊び、そして「モグラ原っぱ」が消えるまでの話だ。

 当時、古田足日の自宅近く、「モグラ原っぱ」の跡地にできた団地に住んでいた。だから、「モグラ原っぱのなかまたち」を読むときは、その前にあっただろう景色を想像しながら読んだ。今、あの場所は一体どうなっているのだろうか。


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2010-03-03[n年前へ]

「自然の力」と「人間の力」 (初出:2005年09月02日) 

 とても華やかな景色を、横にちょっと飾ってみました。この写真は、一昨年のちょうど今頃ニューオーリンズで撮影した写真です。(アメリカの中では有数の)古い街並みが素晴らしく、古い街並みではジャズ(発祥の地ですから)や色んな音楽を演奏している人たちが本当にたくさんいて、とても趣のある素敵な景色でした。一番古い街並みが残っているフレンチ・クオーターには、夜にいつも人が溢れていました。

 最近、報道でずいぶんと変わり果てているニューオーリンズの街並みを見かけます。右の写真に写っているスーパー・ドームには市民が避難していて、そして、私がこの写真を撮影した(スーパー・ドームの横に立つ)ホテルは外側のガラスが全壊に近いようです。

 テレビの画面には、この写真を撮影した辺りに、周囲から避難してきた市民が溢れているようすが映っていました

 洪水や地震や津波や噴火・・・といったさまざまを起こす自然の力が強いように、弱い人間もやはりそれでも強い、と私は思います。だから、少し時間が経てばニューオーリンズの街も活気を取り戻していくのだろうと信じます。

 そう願いながら、酷い状況の景色だけでなく、とても綺麗だったニューオーリンズの写真を同時に眺めたくなりました。だから、今日はこんな写真を飾ってみました。

 一番最後に置いた、右の写真はニューオーリンズの中心、そのフレンチ・クオーターのさらに中心にあるセント・ルイス大聖堂の中で見た景色です。人が祈る、ただそんな姿です。

2010-03-04[n年前へ]

「過去」と「現在」と「未来」の景色 (初出:2005年09月03日) 

 昨日、ニューオーリンズで以前撮影した写真を眺めてみました。ハリケーン"Katrina"「カトリーナ」に襲われたニューオーリンズで、「カトリーナ」に襲われる前の過去に眺めた綺麗な景色を見てみました。

 「カトリーナ」の傷跡が復興するまでの長い間、ニューオーリンズの「現在の景色」と「過去の景色」を、Google Mapで眺めることができました。眺めるための機能がつけられていました。

 過去の上空から撮影されたニューオーリンズのスーパードームや、あるいは、("Katrina"という赤い部分を押すことで眺められる)崩れ落ちかけたスーパードームのようすを見ることができました。

 天井が剥がれおち、ずいぶんと荒れてしまった街が見え、そして、そこからさらに離れた地域は、それよりもっと大変な状態であることもわかりました。

 この地図を提供していたGoogleの開発者たちは、被災したニューオーリンズの状況を、その地にいる人たちのことを考え心配している人たちに(あるいはそれ以外の人たちにも)知らせたくて、こんな機能追加を(驚くべき速さで)急遽行ったのでしょう。

 「過去の景色」と「現在の景色」を、眺めいていると、色々なことが見えてくるに違いありません。赤字を背景にした"Katrina"「カトリーナ」という文字から、そんな時間を追って変化する景色が見えてくるような気がします。

 もちろん、そこからは、過去や現在の先にある復興した未来の姿も見えてくるはずです。



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