hirax.net::Keywords::「豆」のブログ



2009-12-27[n年前へ]

NEWS今昔物語「誰かに伝えるメッセージ」編 (初出2005年03月21日) 

5年前のNEWS(未来)を振り返ってみて思うこと

 折田先生像を登場させたあの人は、今はどうしているのだろう、そしてまた、それを手伝ったあの人は・・・と、年が暮れる時期になると、あの時あの頃の色々な人たちは今どうしているだろう?と思いを馳せますね。

(記事を書いた時の)ひとこと

 モンゴル800のアルバム『Message 』に収録されている「あなたに」を聴きながら、あなたに送る「メッセージ」に関わるニュースを選んでみました。

「殻」を破って伝える「メッセージ」

 この季節は、寒くて天気も悪く、殻に閉じこもってしまうような生活をしがちな(私のような)人も多いかもしれない。

 そんな人の役に立ちそうなのが、3月10日に株式会社トミーが発売する「マメデルモンのたまご(日経プレスリリース)」だ。

 なんでも、一見普通の「たまご」なのだが、それを水に浸すと数十分から数時間で殻が自然に割れ、中からおしゃれなメッセージ入りの豆の種子が顔を出し、一ヶ月ほどそのメッセージを楽しめるという。殻を破る「みどり色の豆」を眺めれば、いつの間にか、自然に自分の殻を破ることもできるかもしれない。

今年も、折田先生がやってきた。

 「折田先生像」をご存じだろうか? 「折田彦市先生の像」というのは、かつて京都大学 教養部(現在の総合人間学部)正門近くに存在していた銅像である。

 この「折田先生像」は日独伊三国同盟が結成された年に建立された由緒正しい銅像だったのだが、15年近く前から大学入試の日になると奇妙な仮装をして受験生達を迎え、何かを訴えかけるようになった。銅像が大学当局の手により撤去されてしまった1997年以降でさえも、信じられないことに、何と折田先生は現われ続けているのである。

 というわけで、今年も折田先生はスッパマンに姿を変えてやってきた! しかも、スッパマン折田先生像に対して、「この素晴らしい芸術的作品をこの場所に展示しておくことは、盗難もしくは損傷の危険性が考えられますので、(以下省略)」に始まる大学事務局の対応がこれまた楽しめる。この年中行事はいつまで続くのだろうか?

2010-05-19[n年前へ]

空豆の中にはいつも何かが入ってる 

 西原理恵子の「パーマネント野はら」から。

最初に娘をみたとき、空豆の夢を見た。
どこともしらない空の上に空豆があって、
のぞくと、私の娘がはいっている。
私は、私の空豆をみつけることができて、
うれしくてしかたがない。

 また、こんな一節は、「営業ものがたり 」の「うつくしいのはら」から。

兵隊さんに土をかけたら、次の年、
そこから空豆の木がはえた。
青い空に空豆がきれい。
そして何年もして、その空豆は、
私のおなかにふってきた。
うつくしいのはら
あおい そらと そらまめ
あいしてる
 西原理恵子が描く空豆の中には、女性の大きなおなかのように、いつも赤ちゃんが入ってる。そんなものが入ってる。

ジャックの枝豆 

 先日、畑に大豆を植えた。ビールならぬ発泡酒のつまみを安上がりに済ませようと、枝豆として塩茹(ゆ)でにしようと考えているからである。

 数日前、大豆の芽が地面から顔を出してきた。そこで、土を割って生えてきた大豆の芽をマクロ撮影してみると、何だか巨大な建造物をミニチュア写真風に撮影したかのようだ。これは何だっけ、そうだ童話の「ジャックと豆の木」とともに描かれている挿絵のようだ。

 そのあくる朝、ジャックは目をさまして、もう夜があけたのに、なんだか暗いなと思って、ふと窓の外を見ました。するとどうでしょう、きのう庭に投げ捨てた豆の種子(たね)から、芽が生えて、一晩のうちに、太い、丈夫そうな豆の大木が、見上げるほど高く伸びて、それこそ庭いっぱい、うっそうと茂っているではありませんか。

 今度、ガラクタ箱から小さな人形でも探して、豆の芽の横に置いて写真を撮ってみることにしよう。そうすれば、置いた人形はジャックに見えて、豆の芽は空高く伸びる「ジャックの豆の木」のように写るに違いない。…と、そんな風にただ眺めているだけではダメだと、「ジャックと豆の木」は語るのだけど。

 豆の木を見て、どこまでも登って行こう、と思ったことが、ジャックの運が開く始まりだったのです。それを、ただぼんやりと、不思議だなあと思い眺めて過ごしていただけなら、…あなたたちは、あいかわらず貧乏のまま暮らしていたはずです。

ジャックの枝豆






2010-05-20[n年前へ]

たくさんの空豆 

 西原理恵子「毎日かあさん 5 黒潮家族編 」から。

ゆっくりおりてきたその空豆をのぞくと、
中にはみんなこどもが入っていて、
「まだかな まだかな」
って顔をしている。
あのたくさんの空豆を、
今でもよく思い出す。

大人がすなる植物観察日記 

 朝、顔を出した豆の芽(ジャックの枝豆)は、日暮れが近づく頃には、色も形も大きさも変わっている。朝は薄い黄緑色だったはずが、濃い緑色になって、下の方を向いていた芽も上を向いている。

 小さい頃、学校の宿題で植物の観察日記を描かされたような気がする。すくすく伸びる植物を眺め記録をつけるという作業は、大人の方がハマるのではないか、と思わされる。自身が育ち盛りのこどもより、なかなか成長しない大人の方が、意外に嬉々として観察日記をつけそうな気がする。

 ジャックの豆の木は一晩で雲の上まで伸びていったが、豆の芽がみるみる間に姿を変えていくさまを眺めていると、あのジャックの豆の木も、荒唐無稽な話ではないな、と考えたりするのである。

大人がすなる植物観察日記








■Powered by yagm.net