hirax.net::Keywords::「長岡京」のブログ



2003-08-31[n年前へ]

平安京エイリアン 

 ルービック・キューブが大流行した1980年頃に、「平安京エイリアン」というゲームがあった。そして、そのバッタもん(ニセもの)の一つに「長岡京エイリアン」というものがあった。というわぇで、リンク先は懐かしのWindows版平安京エイリアン

10円でゴメンね 

 俺ぽーたる(ミス訂正…)で今日も種ともこの記憶を連想しつつ、つらつらと。
 大学一年の頃、発掘のバイトで京都の長岡京市へ一月ほど通っていた。種ともこの実家の前も通ったりしていたのである。
 ふと気づくと、長岡京駅近くのレコードショップに「長岡京が産んだロックスター 種ともこ」というチラシが飾ってあった。ワタシは「種ともこがロックスター?…それは少し違うんじゃ…?」と首をかしげたのである。「ロックでもないし、スターでもないんじゃ…?」と思ったわけなのだ。「ロックスター」という音の響きに思わず苦笑したのである。

 いや、ワタシにとってはもちろんスターなのだけど。

2007-08-31[n年前へ]

n年前へ 

 因果関係の「因」は、因縁生起の「因」だ。と、ふと感じたのは、n年前の景色を眺めたからだ。

長岡京駅近くのレコードショップに「長岡京が産んだロックスター 種ともこ」というチラシが飾ってあった。
20年前の春、始めて長岡京に行った。第九を歌うために、西友の横の路地を歩いて長岡京市民ホールへ行った。

 それまでは、300 bpsのカンサス・シティー・スタンダードならぬ、1200bpsのサッポロ・シティー・スタンダードで、茶色い磁性体テープのカセットテープレコーダに刻まれた"パッチもん平安京エイリアン"の長岡京エイリアンと、「マンガ日本の歴史」の中の数ページで描かれた長岡京しか知らなかった。つまり、何の印象もなかった。
 しかし、未来に向かって「続く」ものであるということが、かろうじて種々のマイナスを乗り越えうる契機を秘めているのだ。

 その年の冬は、試験シーズンの大学にも行くこともなく、毎日のように長岡京の発掘現場に通って土を削った。その後、長岡京で暮らす人たちや、長岡京に超してきた人たちに会い、今に至っている。

2009-09-26[n年前へ]

「柳谷観音」と「話の舞台」 

 堀井憲一郎の「落語論 (講談社現代新書) 」を読んでいると、落語「景清」が登場していた。舞台となる清水観音と柳谷観音のうち、清水観音=修学旅行生が溢れる京都の清水寺の方は知らない人はいないだろうが、柳谷観音の方はそういうわけではない。関西ではそこそこ有名なのだとは思うが、他の有名寺社仏閣の山々に埋もれているように思う。

 柳谷観音は、京都に近い長岡京市の山腹に位置している。竹林の丘や山を越え、急な峠道を上った先の山中にあるので、歩いて行くのも、自転車で行くのもかなりハードな場所である。何度か参拝した記憶はあるが、いつも車に乗って行った。地元の中高生などは、ランニングでこの辺りまで走りに来ることがあると聞いた時には、そして、実際にそんな学生たちを見た時は、思わず見とれてしまったくらいだ。10kmくらい山道を走るという学生たちの中に、自分がいなくて良かった…とつくづく思ったものである。

 小説や落語の舞台、あるいは、ミステリや映画の舞台に行ってみるのは、とても面白い。そういった場所に行った後に、もう一度(その場所が登場する)本や映画を見ると、そういったストーリーがさらに身近に実感できる。「柳谷観音」に行けば、きっと「景清」をもっと楽しめるのだろうし、ナイル川に行けばクリスティをもっと楽しめるに違いない。

 実際に行って、その場所の空気を吸った街には愛着が生まれ、親近感を覚えるものである。本を読むたび、その本に登場する町や場所の中に入って、少し暮らしてみたくなる。

2009-10-18[n年前へ]

「長岡京市と平家」と「伊豆長岡京市と源氏」 

 京都府の長岡京市(京都と大阪の境にある)と伊豆半島にある伊豆長岡市は姉妹都市である。名前が似ているからと言ってしまえばそれまでだが、平家の史跡が残る京都に対し、源氏の史跡が残る伊豆長岡は似ている、と言えなくもない。何しろ、伊豆長岡は「源氏山」を中心とする小さな小さな温泉街だ。昔ながらのスマートボールと射的ができる遊戯場が2か所ある、そんな温泉街だ。

 今日も、自転車に乗って伊豆長岡まで行った。街奥の路地をゆっくり走っていると、「あやめ御前」が源平の戦い以降に暮らしたという場所があった。

とても小さな泉のほとりにある限りなく小さなその場所まで歩いて行くと、思わずその侘しさに言葉をなくしてしまった。

 祭りの主人公あやめ御前は今から800年前、伊豆長岡古奈の里に生まれました。長じて京に上り近衛の院に仕え、その美しさは宮廷随一と歌われました。やがて歌道に優れた武人源頼政公と恋に落ち、幸せな時を過ごしましたが、源平の戦いで頼政は宇治川の露と消え、あやめ御前は伊豆長岡古奈の里で頼政の霊を弔いながら89年の生涯を静かに閉じました。



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