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2009-09-21[n年前へ]
■「個性」という安易な幻想 
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために)
」の「無知に個性はない」から。
近年は、個性とかオリジナリティとかの言葉が、魔法のように人を束縛しているのではないでしょうか。自己表現、自己実現も同じです。また、次の言葉は 堀井憲一郎「落語論 (講談社現代新書)
いま、(中略)人は一人一人が個性を持った素晴らしい存在である、と教えられる。おとなになって木陰で休んでいる気分で振り返ると「嘘も休み休み言ってもらいたい」とおもえる。
2011-09-21[n年前へ]
■「したいこと・求められていること・できること」という三体問題の一般解は存在しない 
from 9月22日の「n年前へ」
自分が何をしたいのかということ、世の中が何を求めているのかということ、そして、自分ができること…その3つの力のバランスで、そんなコックリさんゲームで、どんな道を選ぶかが決まるのだろうか、とも思います。しかし、そんな三体問題の一般解はないわけで、結局のところ、状況次第・自分の気持ち次第というのが本当のところなのかもしれません。
何にせよ、作りだしたものがすべて、というひとつの基準で判断されることかもしれません。
2012-09-21[n年前へ]
■「演じる」こと「信じる」こと 
イスラム圏で激しい反米運動を引き起こしている映画『イノセンス・オブ・ムスリム』 について、その映画に出た女優が書いた「ある女優の手紙」(訳者:Shiro Kawaiさん)
表現というものには大なり小なりあることだが、特に芝居を創る過程では、 人間が自分を守るために身につけたガードを捨てることを要求される。 それはまるで、 誰かが下で受け止めてくれることを期待して、目隠しして絶壁から飛び降りるような行為だ。 そのために、現場には絶対的な信頼が必要だ。脚本家を信じ、 演出を信じ、スタッフを信じ、他の役者を信じ、自分自身を信じる。 これが大前提だ。
訳者:Shiro Kawai
私は旧ソビエト連邦のグルジア共和国で育ちました。 ストライキ、反対運動、デモ、不正、残酷さ、暴力を見て育ちました。 ロシアとグルジアが戦争をしていた時に、そこにいました。 寝るときも外出着を着てバックパックを離さず、爆撃があったらすぐ逃げられるようにしていました。
Anna Gurji
私が役者の道を歩みたかったのは、別の人物へと変化する過程が好きだったから… それは利己的な理由だったのかもしれません。
Anna Gurji
そして、演じることにはより大きな意味があると気づいたのです。 演技を通して、我々役者は、様々な登場人物を現実のものとすることができます。 そして観客は、様々な人物を観ることで、そういう立場の人を理解し始めます。 理解すれば、受容することができます。 受容できれば、人々は手を取り合うことができます。
Anna Gurji
私が信じることとは正反対の主張に、私自身の姿が利用されるのは、耐えがたいことです。
Anna Gurji