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2000-05-23[n年前へ]

「ナンパ」における言語学 

ヤバいことは後に言え!?



 ある飲み会でのことだった。それぞれの頭の中にアルコールが充満した中で、話題は何故か「ビバリーヒルズ青春白書」であった。30代の人々が何故か「ビバリーヒルズ青春白書」を話題にしているのである。とりあえず、

「なんで奴らはあんなにパーティーをしまくるのだ?」
「一体、いつ勉強をしておるのだ?」
「どうして、あんな深夜に女を部屋に連れ込めるんだ?」
というようなことを話していると、突然N氏が
「それは言語構造のせいでア〜ル。」
「英語の言語構造があやつらをナンパに駆り立てるのでア〜ル。」
と言い出したのである。そして長々とN氏が話し始めた内容は私にとって「目からウロコ」の内容であった。あまりにもったいないので、ここに書いておくことにしたい。その内容を発展させるならば、言語構造から「ビバリーヒルズ青春白書」の登場人物たちの行動原理を解析し、ついには文化論を説明することすらできるのである。

 なお、これから書く内容は、例え一人称であってもそれは私でなくN氏の意見である。「誘い」、言い換えれば「ナンパ」、について言語構造まで辿って考えを巡らせているのは私ではない。文化論などに考えを巡らせるのは仮に私であっても、「ナンパ」学に考えを巡らせているのはN氏である。以降、それを頭にインプットしておいて頂きたい。また、いつぞやも書いたが私の英語力は惨憺たるものである。なので、英語の表現についてはウソ八百である可能性が高いことも明記しておきたい。

 それでは、まずはこんなシチュエーションを考えてみよう。登場人物は次の三人である。

  • 花子 : 今回のマドンナ
  • 太郎 : 東京の多摩地区にある大学に通う大学生
  • ジョン : ビバリーヒルズ在住の大学生
この三人は何故か、同じ大学に通っていることにしたい。バリーヒルズ在住のくせに、東京の多摩地区にある大学に通うというジョンの設定に、何か無理があるような気もするが、そこはそれ、適当に無視しておいて欲しい。そうだ、彼らが通う大学はICUということにでもしておこう。いや、それでも不自然か... まぁ、しょうがない。

 さて、いきなりであるが、太郎とジョンは花子にアタック中である。今回は、大学の授業でレポートが出て、それをネタに彼らは花子へアタックをかけているのである。今夜、花子を自分の部屋へ連れ込もうとしているのである。そのために、彼らが花子に言った言葉はそれぞれこんな感じだ。

  • 太郎 (日本語) : 今夜深夜まで、オレの部屋で、オレと一緒にレポートをやろうぜ。
  • ジョン (英語) : How about making our reports in my room until late atthis night?
 言っている内容は同じである。しかし、どうも太郎の方が不利のような気はしないだろうか?えっ、わからない?それでは、両方を日本語にした上で、時系列的に内容を並べて、花子の気持ちになって考えてみよう。彼らが言った内容は次のようになる。こうすれば判るハズだ。
  • 太郎  : 「今夜深夜まで」、「オレの部屋で」、「オレと一緒に」、「レポートをやろうぜ」。
  • ジョン : 「ほらほらアレはどうかな」、「レポート書きだけどさ」、「ぼくの部屋でさ」、「深夜まで」
花子の気持ちも付け加えると、こんな感じだ。
太郎の場合 :

太郎 :

「今夜深夜まで」
(花子 : いきなり、深夜までって何それ...ヤな感じ...) マイナス 20ポイント
「オレの部屋で」
(花子 : 深夜の次は、オレの部屋って「危険すぎ」じゃないの?) マイナス30ポイント
「オレと一緒に」
(花子 : アンタと一緒に何をするって言うのよ。何コイツ。もう絶対ダメ。) マイナス50ポイント
花子 :
「絶対ダメ。」
太郎 : (お〜い、最後まで聞いてくれ...)
ジョンの場合 :

ジョン :

「ほらほらアレはどうかな」
(花子 : 一体何かしら...ジョンって結構シャイなのね。) プラス10ポイント
「レポート書きだけどさ」
(花子 : そうそうやらなきゃいけないのよね。ジョンって結構マジメなのね。) プラス20ポイント。
花子 :
「いいわよ。一緒にやる?」
ジョン :
「ぼくの部屋でさ(小声で)」
「深夜まで。(もっと、もっと小声で)」
 これなら判るだろう。ジョンのズルいところは「肝心なこと」を後に言う点である。そして、太郎の失敗は「肝心なこと」を先に言ってしまった点である。とはいえ、これは日本語と英語の言語構造の違いであるから、太郎にはどうしようもないのである。そして、この英語の言語構造がジョンの花子へのアタックを成功させ、ビバリーヒルズ青春白書をやたら華やかなストーリーに仕立て上げたのである。

 この仮説の証拠は他にもある。例えば、「日本語の歌謡曲の歌詞は状況を説明するところから始まる」とよく言われる。そして、「英語の歌謡曲では状況なんか説明せず、気持ちをひたすら言いまくる」というのは良く言われるかどうかはしらないが、少なくとも私の印象はそうである。

 例えば、「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう。」という極めて客観的かつ定量的な気象状況の説明から始まるのは山下達郎の「クリスマス・イヴ」であり、それが日本語の言語学的な特徴であり、日本の文化でもある。学生時代に気象学の試験で泣きそうになった私としては嬉しい限りである。
 しかし、それが英語圏文化の一例であるワム!の"Last Christmas"になると、「去年のクリスマスに、キミにオレのハートをプレゼントしたね。このオレが。」で始まるのである。ここには客観性のカケラもない。このような文化の差を形成したのは、そもそも日本語と英語(遡ればラテン語だろうか)の言語構造の差が原因だったのである。

 それを喝破したのがN氏の、
「それは言語構造のせいでア〜ル。」
「英語の言語構造があやつらをナンパに駆り立てるのでア〜ル。」
という言葉だったのだ。

 というわけで、世界各国のさまざまな言語で

「今夜深夜まで、オレの部屋で、オレと一緒にレポートをやろうぜ」
をどう言うのか調べてみたいと思う。その文章における語順を考えるならば、それぞれの文化を示す何かがそこにはあるはずである。そして、さらに言語チャンピオン「ナンパ」編を実施してみたい、と私は思う。

 もしも、何語でも構わないし、各種言語で「今夜深夜まで、オレの部屋で、オレと一緒にレポートをやろうぜ」をどう言うか、ご存知の方がいらっしゃったならば、教えて頂けたら幸いである。ぜひ、私(jun@hirax.net)まで連絡して欲しい。
 

2000-08-30[n年前へ]

六の宮の姫君 

さがし続けても、見つからない

六の宮の姫君

 先日、創元推理文庫から出ている北村薫の「六の宮の姫君」を買った。日常の小さな(時には大きな)謎を解き明かして、そしてさらに奥深い何かを解き明かしていく「円紫師匠と私」シリーズの内の一作である。ハードカバーのものは既に買って持っていたのだが、文庫本についていた解説が面白かったので文庫版もついつい買ってしまった。

 この文庫版の解説の中で一番面白かったのは、創元推理文庫から出ているものにはどれも英文のタイトルも付けられているということだった。言われてみれば確かにその通りで、横文字のタイトルが付けられていたのであるが、それを今まで特に気にしたことがなかった。「目の前にあるけど気付かないこと」というのはいたるところにたくさん溢れていて、そういったことを気付かせてくれる解説というのはとても面白いと思う。

 北村薫の本で言うと「覆面作家の愛の歌」の角川文庫版の解説なんかもそうで、こちらでは文章の陰に隠れている「もう一つの物語」のことが書いてある。この解説を読まなければ、北村薫のさりげないけれどどうしても書かずにはいられなかった思いを汲み取ることはできなかっただろう。行間に隠されているからこそ、その思いの強さを感じるのだ。というわけで、こちらも当然のごとくハードカバーを持っているにも関わらず、文庫本もやはり買ってしまった。

 さて、北村薫の「六の宮の姫君」のもうひとつのタイトルは"A Gateway ToLife"で「人生の門出」である。そして、この話の中の主題の一つともなっている芥川龍之介の「六の宮の姫君」に描かれているのは「人生の中で何かをさがし続けても、見つからなかった人生の終わり」だ。

 今回は芥川の「六の宮の姫君」の中に登場する「言葉」を調べてみることで、「六の宮の姫君」の「何かが見つからない=何も見つからない」哀しいようすをそっと見てみたい、と思う。

 そこで、

から得た文章の中から「探しているものの答え・救い」などを意味するであろう「蓮華」の出現分布と、何かを探しても、「何も見つからない」ようすである「何も」の出現分布を比較してみることにした。今回も前回と同じく、wordfreqを使って解析を行ってみることにする。早速調べた結果が以下に示す二つの図である。左が「蓮華(=救い)」の出現分布で、右が「何も」の出現分布である。
 
「蓮華(=救い)」と「何も」の出現分布
「蓮華」の出現分布
「何も」の出現分布

 右が「何も」の出現分布を見れば一目瞭然だと思うが、芥川の「六の宮の姫君」では「姫君」は話の最初から最後まで「何もない・見つからない」ようすで哀しく生きている。ただ、話の終盤で一瞬その「何か」が見えかける。それが、左の「蓮華」である。ただ、それもすぐに「六の宮の姫君」には見えなくなってしまい、また「何もない・見つからない」まま「六の宮の姫君」は一生を終えるのである。

 こんな「さがし続けても、見つからない」というような話は、もちろん古い話に限らず現代の歌謡曲などでも数多くある。「探したけれど、見つからないのに...」とかすぐ口づさめるものがきっとあるはずだ。そしてさらにもちろん、そんな「さがしもの」は歌の中だけの話ではない。きっと百人の人がいたら百種類の「さがしもの」があるはずだ。そんな百人百様の「さがしもの」が見つかるか見つからないのか、それは誰にも判らない。
 

2000-10-20[n年前へ]

「歌謡曲」 

 (長)歌プラス謡曲(メロディ)のことで、「いろは」こそが千年の歴史をルーツに持つ日本の歌謡曲の「黄金律」とのウワサ。from Mail. Thank you.

2011-10-09[n年前へ]

「”しおらしくない”(塩らしくない)」女性3人組だった"Sugar" 

 30年前の今頃、「ウエディング・ベル」という曲が大ヒットしました。コミカルで、それでいてリリカルで、そして一筋縄ではいかない韻書のあった「ウエディング・ベル」を歌っていたのは女性3人組のバンド、Sugarでした。(この曲の作詞・作曲を手がけた古田喜昭氏がこれまた凄いのですが

祝福の拍手の輪につつまれて(私はしないの)
どんどんあなたが近づいてくるわ。(私はここよ)
お嫁さんの瞳に喜びの涙。(きれいな涙)
悲しい涙にならなきゃいいけど。
(そうね、ならなきゃいいけど)

私のお祝いの言葉よ。(くたばっちまえ。アーメン)

 この女性3人からなるバンド"Sugar"の名前の由来は「私たちは”しおらしくない”」「塩らしくない→砂糖→Sugar」というという宣言であったことを知り、「なるほどなぁ…確かに」と、今更ながら納得させられたのです。"Sugar"は「”甘い”私たち」ではなく、「”しおらしくない”私たち」という、そんな名前だったのです。

2014-01-19[n年前へ]

Music Timeline(Google Research) 

 Google Research が公開した“Music Timeline” が、とても良い感じ。日本歌謡曲版とかクラシック版とか、色んな地域版だったり、さまざまな音楽をすべて組み合わせた版とか、色々欲しくなる。

 Google Research が公開した“Music Timeline” の話題から、レゲエとスカが同じ裏拍仲間だとか、あまちゃんのテーマソングは間違いなくスカだという話をする。そして、"No music, no life"という言葉は真実なんだろうか、という話をする。音楽という意味だけでの"No Music, No Life"かどうかはわからないけれど、ギリシャ神話のムーサ司る何かが、ありとあらゆる”人の心を楽しませる”ミューズなアミューズメントが、人の人生"Life"では積み重なっていて欲しいものだと思う。
href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/4864590966/ref=as_li_ss_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=7399&creativeASIN=4864590966&linkCode=as2&tag=hiraxnet-22">  ”以前、アメリカのクヌースという数学者と「頭の中の指揮者」について話したところ「それがミューズだよ」と言いました。”
 電波天文衛星(はるか)の仮の名前は「Muses-B」でした。Musesという衛星名は、宇宙科学研究所の先進的な工学実験を目指したシリーズにつけられるコード名で、「ミューロケットを使った工学実験衛星シリーズ」を表すMu-Series-Engineering-Satelliteから作られた名前です。Muse(ミューズ)は学芸を司る9人の女神を指します。



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