hirax.net::Keywords::「ウナギ」のブログ



2000-05-21[n年前へ]

hixの歩き方 

全文検索をしてみよう


  hirax.netのコンテンツ、といっても今のところ「できるかな?」しかない、も数が増えてきた。ページ数は増えてきたが、ごく短いページがほとんどである。というわけで、残念ながら内容はたいしてないのが残念である。しかし、内容がなくてもページ数が増えてくると、どの記事をどこに書いたか判らなくなる。あるいは、読むほうも同じだろう。「今日の必ずトクする一言」の「本ページのメニューシステムと逆リンクのナゾ」には

章があまりページに細分化されていない方がむしろ検索効率が良い。
と喝破しているがその通りである。私もトップのメニューだけは「ウナギの寝床メニュー(copyrightwww.tomoya.com)」を採用しているが、各コンテンツはそれぞれディレクトリを作って細分化させてしまっている。画像ファイルやバックデータとしてのデータファイルも使用する場合があるため、どうしてもそうなってしまう。
 もちろん、infoseekなどにも登録はしてあるから、ある程度の内容を検索することはできるのだが、残念ながらそれほど詳しい検索はできない。自分でも不便に思っていたこともあるし、この「できるかな?」を書き始めるきっかけを作って下さった方からアドヴァイスされたこともあり、、全文検索システム"namazu"をhirax.netにインストールしてみることにした。

 そこで、できた検索ページがここ(http://www.hirax.net/cgi-bin/namazu.cgi)である。こんなページである。
 

hirax.netの全文検索ページ

 使い方の詳細は"namazu"の検索式の詳細(http://www.namazu.org/doc/manual.html#query)を見て頂くことにして、まずは使ってみたい。「できるかな?」は科学サイトだと思われることも多い。いや、自分でもたまにそう思うこともあるのだが、全文検索をかけてみると少し違う結果が出た。
 

「科学」を検索した結果

 なんと、13ページしかヒットしないのである。おやおや?と思い、いくつかのキーワードで検索をかけてみた。それをヒット数順に並べたのが下のリストである。

  1. 画像 = 74
  2. 色 = 51
  3. 可視化 = 23
  4. 心 = 21
  5. プログラム = 16
  6. 科学 = 13
  7. 恋 = 12
  8. 漱石 = 10
  9. 水着 = 5
 こうしてみると、本サイトは画像関連の話が圧倒的に多く、過半数を占めていることがわかる。そして、実は「科学」より「心」を取り扱う話の方が多いこともわかる。「科学」を取り扱うのと同じくらいの頻度で「恋」を取り扱っていたりするのである。

 というわけで、「あれっ、あの話はどこにあったかな?」とか「この言葉に関係した話はあったっけ?」などと考えの際はここで調べてもらいたい、と思う。

 さて、こういう「検索システム」は「レーダー」と良く似ている。広大な霧の中から探しているものを見つけてくれるのである。この話の時に触れた富士山レーダーを思い出してしまう。

 いや、本当のことを言えば実は話の流れは逆である。新田次郎の小説「富士山頂」、いや元気象庁観測部測器課長であった藤原寛人の富士山レーダー建設を題にとって書いた私小説と言った方が良いか、の最後を読んでいて、検索ページを作ってみることにしたのである。小説の最後で主人公(藤原寛人)は自分を自由に泳がせてくれていた直属の上司と一緒に仕事ができなくなることに呆然とする。富士山レーダー建設をさせてくれたのもその上司あってのことだと感じるわけだが、時折私が強く感じることと重なってしまって(以下、略。)
 

2000-12-16[n年前へ]

構造欠陥? 

 そういえば、こんなので遊んでみたのだった。ウナギの寝床システムはStructureポイントではとても不利なようである。が、「間口が狭くて奥行が長い」というウナギの寝床システムこそが個人のWEBサイトにはふさわしいと私は思う。だって、「間口が広いけど奥行が短い」てちょっと味気ないしね。(リンク

2003-01-13[n年前へ]

江戸から続く秘伝のタレ? 

昔ながらのウナギが食べたい

最新記事:ガリガリ君のアタリは法律上限の2倍近い高確率だった!?

 最近、少し貧血気味だったりする。こんな時はもちろんウナギを食べたくなるのである。美味しいウナギを食べたくなるのである。

 そういえば、江戸時代から続く老舗の鰻屋などでは「ウナギを焼くときに使うタレは創業時から使い続けている」というように聞く。ウナギのタレを壷に注いで、使っては継ぎ足し、また次の日使ってはさらに継ぎ足して、二百年以上もその秘伝のタレを使い続けているということである。「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」というわけである。なるほど、そんな風に保たれている秘伝のタレは長い間熟成され続けて、さぞかし美味しいに違いない。江戸時代から守り続けられているタレはきっと栄養だって満点に違いないのである。もしかしたら、ワタシの貧血だって一発で直ってしまうかもしれない。

 ところで、「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」とはいっても、もちろんそれは言葉通りの意味ではないだろう。その言葉が意味するところは、「江戸時代からの味の伝統を代々受け継いでいますよ」ということであって、言葉通りの「江戸時代にできたタレが目の前のウナギに塗られている」ということではないだろう。

 とはいえ、そんな老舗のウナギを食べる方の心理からすれば「江戸時代の頃にできたタレが今でもその壷の中に残っているんじゃないだろうか?」と考えてしまったりもすることだろう。そして、二百五十年近く壷の中で熟され続けてきたそんな素晴らしいタレが自分の目の前のウナギにかかっているのではないか、と感じたりするに違いないのである。

 果たして、そんな老舗の鰻屋の秘伝の鰻のタレの壷の中の何処かに、江戸時代に作られた「タレ」が今も潜んでいたりするものなのだろうか?江戸時代に調合されたタレの分子が、今も秘伝の壷の何処かに漂っているのだろうか?江戸時代にその壷に注ぎ込まれたタレに含まれている水分子(タレのほとんどは水だろう)が、今でもその壷の中でじっとワタシに食されるのを待っていたりするものなのだろうか?きっと、誰しもそんな疑問を持つことだろう。少なくとも貧血気味のワタシの頭はそんな疑問を持ったのである。そして、「江戸時代にできたタレの分子」をぜひとも食してみたい気持ちに襲われるのである。

 そこで、江戸時代から続くような老舗の鰻屋の秘伝の「ウナギのタレの壷」の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」を簡単に計算してみることにした。鰻屋が

  1. 創業時にある一定の容量の「ウナギのタレの壷」を満タンにして
  2. ウナギを食するお客一人当たり25ccほどのタレを使い
  3. 減った分を新しく作ったタレを注ぎ込んで補充し
  4. 壷の中身をよ~く撹拌して、次のお客に備える
ということを毎日続けていくと、秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」はどうなるか、を計算してみたのである。まずは、毎日100人のお客が鰻を食べに来るような人気の鰻屋の場合である。また、壷の容量は特大と三種類の場合で計算してみた。下に示すグラフがその結果で、横軸は創業以来の「壷」の経過年数、縦軸は壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数を示している。
 
 
秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」
(毎日100人のお客が鰻を食べに来る鰻屋の場合)
横軸:経過年数、縦軸:壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数

赤:特大サイズの壷の場合 ( 容量3500リッター ) 
緑:大サイズの壷の場合 ( 容量1000リッター )  
青:  中サイズの壷の場合 ( 容量100リッター )  

 この結果を眺めると、中サイズの壷の場合は十年経たないうちに「創業(江戸時代)の頃にできたタレの分子」は壷の中からなくなってしまうことが判る。また、大サイズの壷の場合も七十年程でやはり同じように「江戸時代の頃にできたタレの分子」がなくなってしまっている。特大サイズの壷ではじめて、「江戸時代の頃にできたタレの分子」が今も壷の中に眠っているということが判るのである。

 しかし、である。「じゃぁ、特大サイズの壷を使っている老舗の鰻屋に行けば良いのね」と簡単に納得してはイケナイのである。何しろ、この特大サイズの壷は容量が3500リッターもあるのである。つまりは、タレが重量3.5トンほども入っている超巨大な壷なのである。3.5トンの壷ってなんやねん、とツッコミたくなるもの当然の不自然きわまりない、ありえないようなサイズなのだ。それはほとんどほとんど貯水タンクと言った方が良いサイズなのである。つまり、言い換えれば普通サイズの壷を使う限りは「江戸時代にできたタレの分子」に出会うことはほとんど不可能だ、という結果になってしまうわけだ。非常に残念なのだが、「江戸時代にできたタレの分子」を食することはとても難しそうなのである。

 とはいえ、それはあくまで毎日100人のお客が鰻を食べに来る人気の鰻屋の場合である。下に示すような、毎日2人のお客しか鰻を食べに来ない不人気の鰻屋の場合は少々事情が違うのである。特大サイズどころか中サイズの壷の中でさえ、ちゃんと250年経っても「江戸時代の頃にできたタレの分子」が残っているのである。ほとんど、客が来ず、そしてウナギのタレが消費されないがために、「江戸時代の頃にできたタレの分子」が必要十分すぎるほどに守られているのである。まさに「ウチのタレは江戸時代から続くタレでございます」なのである。
 

秘伝の壷の中に漂う「江戸時代にできたタレの分子数」
(毎日2人のお客しか鰻を食べに来ない鰻屋の場合)
横軸:経過年数、縦軸:壷の中に入っている「江戸時代の頃にできたタレ」の分子数

赤:特大サイズの壷の場合 ( 容量3500リッター ) 
緑:大サイズの壷の場合 ( 容量1000リッター )  
青:  中サイズの壷の場合 ( 容量100リッター )

 と書いてはみたものの、そんな不人気店が江戸時代から二百五十年以上も潰れずに残ってるかぁ、とか、そもそもそんな不人気店のウナギをおまえは食べたいのかぁ、とか、そもそもそこまで寝かされているタレはもう腐ってらぁ、という反論異論が出ないわけはなく、やはり非常に残念なのではあるけれど、「江戸時代にできたタレの分子」を食することはどうもできそうにない。
 

 ところで、「鰻のタレの壷」ではないけれど、「継ぎ足して使い続けている」ようなものは他にも世の中に数多くある。例えば、「血液」なんていうものだってそうだ。秘伝のタレと同じように、私たちの体の中には毎日毎日新しい血液が作り足されている。時には血液が足りなくなってしまったときに貧血気味になってしまったり、さらに血液が足りなくなってしまえば他の人の血を「輸血」という形で継ぎ足すようなことだってある。そんな風に、何処かの誰かから何処かの誰かへ輸血された血が、そしてその血の中の水分子が今どこに漂っているかをふと考えてみたりもする。そんな血液の中の水分子はもしかしたら、体から排出されてどこかの海を漂っているかもしれないし、何処かの空を漂っているかも知れない、そしてもしかしたら、まだ何処かの誰かの体の中で漂っているかも知れない。そんなことを考えてみたりもする。


最新記事:「ガリガリ君のアタリは法律上限の2倍近い高確率だった!?

2004-05-05[n年前へ]

ウナギの寝床トップページ 

 昨日資料を作ったときに、あぁなんてウナギの寝床なんだ、と今更ながらにビックリした。これがhirax.netのトップページを横向きにしてみたところです。本当にウナギの寝床式のインデックスページですねぇ。
hirax.net

2004-12-29[n年前へ]

帰ってきた「わきめも」 

わきめも 「わきめも」が帰ってきた。初代から数えると、今度のものが三代目襲名披露になる「わきめも」が帰ってきた。しかも、二代目に引き続きあの掲示板も復活した…。以前は公開されていなかった(ような気がする)「何かあったら500円」の続き、「ウナギ昼飯と妻の昼飯」も書き足されている。

 最近では珍しいかもしれない、(何年も前の懐かしいような)インターネットのデザインが良い感じかも。これで、トラックバックとかRSSなんて付いていたら、ちょっと考えてしまうかも…(やりそうだけど…)。

  「何かあったら500円」給料日前。私の財布には700円、と少々の1円玉。ちなみに札はない。外出になったら、やばい1日。昼飯は同僚の誘いを断り、ちょっと遠くの牛丼やへ。400円也。  …明日、経費が振り込まれる予定なのだが、万が一のために、家内から500円いただく。なんかあったら大変でしょ、だって...。なにかあったら500円じゃすまないよなあ、と内心笑いながら、その夜は床についた。  「ウナギ昼飯と妻の昼飯」やっと、銀行に給料が振り込まれたぞ。ふっふっふ。というわけで、昼飯はウナギを食った。 …妻は今日の昼飯は何を食ったのだろうか。



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