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2009-11-03[n年前へ]

「経験」を持たない「賢者」 

 ふと目にした言葉、衝撃を受けた言葉や、気になった言葉を、システム手帳にいつも書き写し、時間がある時にはいつも読みなおしている。…その一部をここに書くことが多い。

 その中で、「腑に落ちないけれど、書き写した」というものもある。たとえば、次にひく勝間和代の言葉もそうだ。これは、朝日新聞の2009/05/09に掲載されていた「人生を変えるコトバ」に書いてあった言葉だ。

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。
書き写して読み直すのだけれど、どうにも消化できず、この言葉が胃もたれしたままでいる。

 ここで書かれる「賢者」は、数多くの否応なしに学ばさるを得なかった「経験」を自らのものとしては持たなかったのだろうか。あるいは、ここで「愚者」と呼ばれる者は、本屋で歴史書を手にすることはないのだろうか。

 「腑に落ちない胃もたれしたままの言葉」を書いたのは、この言葉だけだ。どうにも、この言葉の深さというものを計ることができず、書き写した頁を眺めるたびに、いつも悩んでしまう。

 ・・・だから、というわけではないが、今日張り付けたイメージ画像は同じ「愚者」でも、勝間和代の本ではない。「指が月をさすとき、愚者は指を見る―世界の名科白50 」である。

本当に重要なことは、あるものが何であるかよりも、誰がそれをいっているのかを知ることなのです。

四方田犬彦

2010-05-07[n年前へ]

不器用な人間たちの面白さ 

 朝日新聞 管野俊秀が書いた、仲間由紀恵の言葉から。

 「ギャグもあるが、奈緒子や上田といった不器用な人間達が一生懸命やってることの面白さもある」

2011-10-16[n年前へ]

『広い世界が持つ矛盾」や「役に立たない?役に立つ?」 

 今日の「n年前へ」から。

 ひとこととで書くコメントは、非常に的確なものであるのが、普通です。なぜなら、クローズアップされた狭い景色の中には特に「歪み」も「矛盾」もないのが普通です。だから、そんな景色を描写した短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。
 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、つまり、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。…それらの歪み・矛盾・食い違いなどを何とかつなぎ合わせて一つのものにする、というのが長い文章を書くということなのかもしれない、と思います。
 今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。

朝日新聞社説

2012-03-13[n年前へ]

お客様という「わがままな神様」 

 朝日新聞「ニセモノ社会?」から。

 魚の養殖は、どれだけ「本物」に近づけるかの勝負だ。
(中略)  (エサに入れた色素で養殖のサケの身の色を調整するために)消費者が好む色は何色か、調べることにした。…最多得票は、天然にはない「(肌色と赤の)中間色」だった。
 「養殖は『ニセモノ』なんて言われた時代もあったけど、消費者が選んだのは『本物』とは違う色だった。お客様ってわがまま。でも、神様ですけど」

お客様という「わがままな神様」






2013-12-28[n年前へ]

「解けない問題」との付き合い方 

 Asahi.com に「解けない問題」との付き合い方という記事を書きました。センター試験を間近に控えたこの時期に、センター試験を振り返り考える「Look Back センター試験」という続きもののひとつです。
 選択肢をマークシートで選ぶセンター試験を思い出してみたとき、ふと考えたことを書いてみました。私たちは、(正解かもしれない)何人もの容疑者たちを前にいつも悩んだり・迷ったり…戸惑ったりします。そんな自分(たち)に送るエール文を書いてみた…というわけで、試験を受ける年頃の方にも、試験を受けた頃が遙か昔になった方にも、少しだけ眺めてもらえたら嬉しいな…と思います。

 センター試験の時期になると「解けない問題ばかりだ……とりあえずマークシートを塗りつぶしておこう!」と運に任せ、マークシートをデタラメに塗りつぶした記憶がよみがえる。「次のうちから正しいものを選べ」という問題文に並べられた選択肢の数が多いと「あまり当たりそうにない」と憂鬱(ゆううつ)になり、その逆に選択肢の数が少なければ「こりゃ当たる確率が高いぜ!」と喜んだものだ。その挙げ句に…
 ……なんてことを書くと「正攻法で地道に解いた方がいい」と言われそうだ。それは確かにその通りなのだろう。数学知識を活用して選択肢の絞り込みを行うくらいなら、最初から問題を正攻法で解くことに力を費やした方がいいに違いない。たぶん、それがきっと正しいことなのだろう。しかし…
 実際のところ、解くことができる問題なんてとても希少な存在で、解けない問題ばかりが行列になって登場するという「やってられない試験」こそ、私たちの毎日なんじゃないかと思う。

 そんな時、わからなくても知恵を振り絞って可能性の高い選択肢を選び出す、そして、後は運に任せ進んでいくテクニックは意外に大切なものかもしれない、とも考える。センター試験で「わからない問題に出くわして、それでもあきらめずに未来の運や可能性の存在を信じつつ、自分の選択肢を鉛筆で選んだ」気持ちは、それから後の全ての瞬間にわたって、ずっと有効だったのじゃないか、と思う。

「解けない問題」との付き合い方








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