hirax.net::Keywords::「槇原敬之」のブログ



2003-02-25[n年前へ]

「世界に一つだけの花」 

世界に一つだけの花 最近になって耳に残るSMAPの「世界に一つだけの花」
 作詞作曲を手がけた槇原敬之はデモテープの中でこの曲をどんな風に歌ったのかな?と思いながら、人に干渉するのもされるのもイヤだなと思う私は通勤途中の車の中でかけています。時々鼻歌で歌ってみたりして。

 もうちょっと付け足してしまえば、解体新書を「この中で誰が一番だなんて、争うこともしないで、バケツの中誇らしげに、しゃんと胸を張っている」なんて歌いながら書いていたのでした。一体、なんなんでしょね。
 

そうさ 僕らも 世界に一つだけの花 一人一人違う種を持つ その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

2004-01-22[n年前へ]

"MILK" 

 最近、通勤途中に槇原敬之のMILKを聴いている。この歌は二丁目界隈では人気が結構あると聞く。そういえば、最近はオッパイ星人だと「勘違いされる」ことも多い私だけれど、誰からだったかゲイだと思われていたこともあった。オッパイ星人とゲイは両立するのだろうか、と考えだすと首をひねりたくなるような気もする。けれど、「オッパイ星人」なんかを書くずっと前のことだからそう不思議でもないのだろうか。いや、本人からすればヤッパリ不思議だとしか言いようがない。

 そういえば、ラブホテルでバイトした時に「女性同士のカップルは休憩・宿泊ノープロブレムだったのだけれど、男性同士のカップルの入室は遠慮してもらう」ということになっていた。それは、男性二人連れは盗撮目的かもしれないから、というトンデモナイ理由だった。とんでもなく失礼な話だ。ずっと昔のことだから、そういう偏見があったのだろうか。あるいは、今もそういう偏見があるのだろうか。いや、現在であれば男男でも女女でも男女あるいは女男でも、つまりはどんなカップリングでも盗撮用のカメラ設置をするヤカラはいるだろうから、少なくとも「盗撮防止のため」という理由は淘汰されているに違いない。きっと、今なら何でもアリなのだろう。

 最近はどうなっているんだろう?女男でも男男でも…何でもOKになっているのだろうか。

2008-03-12[n年前へ]

私たちが乗った魔法の「ライブ・トレイン」 

 (高層ビルを消したり・出現させたりすることができる、という)「高層ビル消滅(消灯)マジック」を読んだ人から、メールを頂きました。そこに書かれていた風景・その人 たちが見た出来事がとても素敵だったので、そのメールを(許可を得て)書き写させて頂きます。

 「高層ビルを消すマジック」を読み、不思議なほどそれと似た景色を眺めたので、その出来事を書かせて頂き ます。
 私たちは、ライブ(Live) R35という コンサートを、名古屋から東京国際フォーラムにまで見に行きました。1990年代初頭のヒット曲を集めたコンピ レーションアルバム R35 のヒットを記念して行われたコンサートを見に行きました。
 1990年代初頭、つまり、15年くらい前の曲が詰まったR35は私のiPodにも入っています。
 開演時間が過ぎても、空席もあちらこちらに見える中、深くリバーブがかかったストリングスと堅い音色のシ ンセサイザが奏でるclassの「夏の日の1993」の前奏が鳴り出しました。東京国際フォーラムという大きな会場で したが、一人の観客も立ち上がったりしませんでした。私もそうでしたが、音楽を聴きながら・その時代を感じ 、そこで立ち上がる必要も、立ち上がることもできなかったのだと思います。何しろ、R35=35歳以下禁止の、あ の時代を共有する人たちですから。

 中西圭三がWomanを歌い始めた頃には、空席も既になくなっていました。そんな席は、仕事場から駆けつけた背広姿の人たちや、急いで駆けつけたことが目に見える女性たちが、そんな席を埋めていました。そして、ステージの上の人たちも会場に座る人たちも、あの頃の唄を歌っていました。当時、中西圭三は久保田利伸に似ていたような気がするのですが、今では「オーラの泉の人」にそっくりになっていました。
 私も、当時は中西圭三と久保田利伸との区別がよくわからなかったような気がします。それにしても、「オーラの泉の人」似というのは本当でしょうか。「まるで別人のプロポーション…」ですね。
Woman
君が探してる未来は
君の中にあるよ

  中西圭三 Woman
 ライブの最後は、槇原敬之でした。彼が、
 ぼくが唄の好きなところの一つは、”唄は変わらない”ってことだと思うんだよね。時代が、歌う人が、色ん なものが変わったように感じられても、唄は変わらないじゃない?それって、すごいことだと思うんだよね。そ んな変わらない唄に、僕は励まされたりして、だから、唄を歌おうって思うんだよね。
と(あぁ高槻出身だなぁ)と感じさせる関西弁で喋っているのを聞きながら、その少し前に演奏された中西圭三 作曲のChoo Choo TRAIN、ZOOやEXILEが何度かヒットさせたChoo Choo TRAINの興奮が蘇りました。
 35歳以上の会場の人たちが、みんな立って手を叩いたり、体を揺らしていた瞬間を思い出しました。ヒットした時代も、それを歌う人も変わったりもしつつ、けれど、やっぱり、変わっていないものもあるのかもしれない、と思ったのです。
 30代後半、40代の人たちといっても、みんな、若い頃にChoo Choo TRAINを聞いているんですものね。それにしても、Choo Choo TRAINは、中西圭三が作曲されていたとは知りませんでした。
Fun Fun We hit the step step
同じ風の中 We know We love Oh
Heat Heat (The) beat's like a skip skip
ときめきを運ぶよ Choo Choo TRAIN

   Choo Choo TRAIN
 確かに、Zooが歌うChoo Choo TRAINや、同じ風や、一言で言えば、同じ時代を私たちは歩いてましたね。
 槇原敬之が、
 このコンサート・このアルバムは「あの頃に帰りたい」というものじゃ決してない、と思ってる。「あの頃と同じように前に進んで行こう」というものだと、思ってる。ねぇそうだよね?
というようなことを言って、コンサートの最後の最後は、全員による「どんなときも」で終わりました。
 本当に、「どんなときも」のイントロが流れてくると、当時のカラオケボックスを思い出しますね。「あまりにも、バラード過ぎて」歌いづらかったような気もしつつ、それでもやっぱり歌ってしまったりもしたあの頃を思い出しますね。
どんなときも どんなときも
迷い探し続ける日々が
答えになること僕は知ってるから

  槇原敬之 どんなときも
 名古屋に戻るために、私たちは東京駅へ急ぎ、名古屋行きの最終22:00発「ひかり」433号に乗り込みました。乗り込んだ席は、1号車の向かって右側の席です。一言で言ってしまえば、ライブ(Live) R35が行われていた東京国際フォーラムが見える方の席です。余韻を感じたかったので、そんな席を選んだのです。
 そして、最終「ひかり」433号が発車するベルが鳴り始めました。そして、その発車ベルが鳴り終わった瞬間に、不思議なことが起こりました。もうおわかりだと思いますが、目の前の高層ビルが消え始めたのです。そして、不思議に消滅した後に、チラチラと再び点灯し現れるビルの光に送られながら、新幹線は走り出しました。私は正確な時計も、ビルの消灯時間も知らなかったわけですが(記事を読む前でしたから)、偶然にもその「魔法」を素晴らしいタイミングで見ることができたわけです。
 今、調べてみると、東京駅始発で22:00ちょうどに発車する列車は最終の名古屋行き「ひかり」433号だけなんですね。高層ビル消滅(消灯)マジックに合わせて鳴るアラーム・同時に発車する列車は広い東京駅でもただ一本だけなんですね。しかも、その先頭(の方の)列車の右窓側シートでないと、きっとあの消滅マジックを見ることはできないでしょうね。それはまるで、松本清張の「点と線」のような、ほんの一瞬の「そこだけで起こる魔法」ですね。
 その後は、すぐに寝てしまったこともあり、終点の名古屋に着くまでの記憶はありません。名古屋に着く直前に流れたチャイム音、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!を聞いて目が覚めたのですが、何だかそれはライブ(Live)の続きのような、あるいはライブ(Live)の最後のようにも感じました。
 そういえば、東海道新幹線は終着駅に着く前に、TOKIOのAMBITIOUS JAPAN!が流れますね。 (その前に使われていたチャイムメロディから)あのチャイムに変わった頃は、TOKIOもまだ若かった気がします。今では、彼らもR35になっているんですね。
たとえて言えばロング・トレイン
風切り裂いて走るように
未来に向かってまっしぐら

  TOKIO AMBITIOUS JAPAN!
 「時は流れていく、と君は言うかもしれない。けれど、動いていくのは時間でなく私たちの方なんだ」という言葉を、何かのSFか、あるいは物理学の本で読んだことがあるような気がします。その日、東京国際フォーラムにいた人たちは、みんなそれぞれ時間の中を走り続ける、そんな長距離列車に乗っているんでしょうね。

2008-11-20[n年前へ]

The Average Man Keeps Walking 

 The Average Man Keeps Walking

 「オンリーワン」であるけれど、「ワンノブゼム」であるということも重要だと思うんですよ。信号渡ってしまえば、誰だかわからなくなってしまうんですよ。でも、その中でも、誰か一人のために輝き続けることが・・・
 「平凡な男、歩き続ける」 槇原敬之
信号待ちウィンドウに映る
行き交う人たちを見ていた
恋人同士 友達 一人
みんな夕焼けに染まっているよ
とてもすてきな笑顔で
笑ってる人は僕の目を引く
どんな生き方をすれば僕も
同じように笑えるのだろう

人生が取り替えられないのは
それぞれに一番ふさわしい
人生を与えられてる
何よりの証拠だと思えるんだ

2009-10-19[n年前へ]

ライフ・イズ・ノット・イージー 

 この先を読みたいと思いつつ、ゆっくりと頁(ページ)を読み進めていきたくなる本が、つまり、決して一日で読み終わってしまいたくないと感じる本がある。たとえば、「逆風満帆 」はそんな本だ。朝日新聞のbeに連載されていた記事の一部をまとめたこの本の頁は、丁寧にゆっくりと一文字一文字読み進めたい。

 <ライフ・イズ・ノット・イージー> (人生は楽じゃない) ニューヨークに住む矢野から槇原に届いた手紙には、そう記されていた。(中略)槇原を思いやる言葉とともに、人のこころの「光と影」についての深い洞察が、手紙にはつづられていた。
 …僕はまだ人の気持ちが全然わからないのに、なぜこの人にはわかるのだろう。こんなに優しい気持ちでいてくれる人に、なぜつらい思いをさせてしまったんだろう。
槇原に”謝罪”を迫る人はごまんといたが、心の底から素直に『ごめんなさい』と言えたこの瞬間を、彼は今も忘れない。

 この記事は、連載時からメモ帳にメモしたり、張り付けたりした文章や言葉が、いくつももあった。

 「人はさびしがりやであるべきだと思うよ。さびしくないように、相手のことを考えるから。多少は不安なほうがいいんだよ。そのほうが助けあえるからね」

 この下で彼が歌う歌は、このインタビュー記事の一年ほど前に彼が作ったもの。

結局、僕はそんな事を何度も繰り返し。
最後には何も見つけられないまま、
ここまで来た道を振り返ってみたら。
それを見た時の気持ちが、
僕の探していたものだとわかった。
今までで一番素敵なものを、
僕はとうとう拾うことができた。

「僕が一番欲しかったもの」(EXPLORER )



■Powered by yagm.net