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2005-06-02[n年前へ]

恋愛物理学の法則 

5P日記: closer 借力さんの恋愛物理学の法則「男女二人が歩いた場合には、(その二人の間の)好意ベクトルの方向に二人は進む」 つまり、A男さんがB女さんを好きならば、A男からB女さん側に向かう方向へと二人は進んでゆく、という法則。なるほど…、なんだか格闘技みたい。
 カップルが歩くとき相手がどちら側にいた方が自然に感じるか…、その相性もありますよね?あぁ、これもなんだか格闘技…みたい。

2007-07-06[n年前へ]

「物語」と「市場経済」 

 現代は大衆民主主義と資本主義と科学技術の時代である。人々は原則平等という権利と引き替えに、細かい差異化過程に巻き込まれ序列化されることを余儀なくされる。

科学とオカルト 」P.7 はじめに
 「科学とオカルト(池田清彦 講談社学術文庫)」は科学という積み木と隣り合うオカルトという積み木の姿を描く。そして、それと同時にこの本が描くのは、科学だけでなく資本主義と大衆民主主義という積み木とも隣接するオカルトの姿でもある。

 本屋に置いてある雑誌や駅に置いてあるフリーペーパーを眺めてみれば、たくさんのファッション・スタイルや数限りないグルメスポットが掲載されている。そんなたくさんの選択肢から自分なりのものを選んで自分に振りかけてみても、他人と自分の違いは、スターバックスで注文するコーヒーかホットドッグのトッピング程度の違いしかないことだって多い。

 宗教という大きな公共性も身分制という規範も存在しない現代では、自分が何者なのかということを教えてくれるものは何もない。唯一、最大の公共性であり科学は、そういう問いには原理的に答えることができない。

科学とオカルト 」P.148 現代オカルトは科学の鏡である
 元サッカー日本代表の中田英寿は「自分探しの旅」へと出かけてしまい、須藤元気は格闘技のリングから「スピリチュアルな世界」へと舞台を変えた。「僕って何」という問いかけをする「一見さんに対し」、ほとんど全てのものが明確な答えを与えることはしないように、科学が一見さんが抱えるその問いに答えることはない。

 お客様は神様です。  三波春夫
 「お客様は神様です」という言葉とともに、スーパーにはたくさんのものが並び、私たちは自分が持っているお金の範囲で自由に商品を選ぶことができる。現代社会は、お金を持っている限り有効の神様チケットを持った人で満ちあふれている。それと同時に、そんな神様たちは「選択」という価格の付けられたチケットを持ってはいるけれども、選択に迷いがちで自分を見つけられない存在でもある。
 幸か不幸か、社会はこの現実社会にはないものを物語という形で流布する。「かけがえのない私」というのも、こういった物語の一つである。

科学とオカルト 」P.149 現代オカルトは科学の鏡である
 消費者が望むものを誰かが生産する。需要のあるところには、必ず供給が生まれる。科学が生産できないものを現代の消費者が望むなら、そこには、必ず別の供給者が現れる。それが自由市場主義で動く現代社会なのだろう。消費者という神様は欲しいものに応じ、時には科学を選び、時にオカルトを選ぶのである。お客様という神様たちと、そんな神様たちの欲望に応える供給者が作り出していくのが、21世紀の世界なのだろうか。
(「科学とオカルト」を書いた)池田の著書は、自分で考えるとはどういうことか、結局はそれを教えてくれる本なのである。

養老孟司
 

2008-04-30[n年前へ]

「強いパンチを打つ方法」(物理編) 

 ジャッキー・チェンのカンフー映画の中だったか、格闘技の解説書の中だったか、あるいは、力学の教科書か何かの中だったかは忘れたけれど、こんな「強いパンチを打つ方法」を聞いた(見た)記憶がある。

 (たとえばパンチのような)強い打撃を与えようとする時には、”打撃を加える瞬間に体を伸び上がるようにするべし”あるいは"一瞬体を伸び上がり体を浮かし、着地する瞬間に足元を蹴りながら、打つべし"
 特に、自分よりも体格の良い(体重がある)相手に対するときには、この技巧を忘れてはいけない。

 この言葉がいわんとしているのは、多分こんなことだったと思う。

 自分より体重のある相手に打撃を加えても、相手は動かず自分自身が後ろに下がってしまう。それは、重い荷車を押そうとしても、足元が滑ってしまい、荷車を前に押し進めることができないようなものである。
 あなたの足元が動かないようにする力、言い換えれば、自分の足と地面との「摩擦力」は、摩擦係数とあなたが地面を押す抗力に比例する。ということは、足元が動かないように、足元が滑らないようにするためには、「あなたが地面を押す抗力」を増加させれば良いのだ。
 かといって、その瞬間だけ急に体重を増やすわけにはいかないから、”打撃を加える瞬間に体を伸び上がるようにしたり”"高いところから着地する瞬間に足元を蹴る"ことで、自らの足が地面を押す力を高めるようにすれば「強いパンチを打つことができる」ようになるということを、先の言葉は伝えようとしているわけだ。

 しかし、この「きわめて物理的な強いパンチを打つ方法」には、重大な弱点がある。それは、「パンチを打つ前後には体が浮いてしまっている。そのため、そのパンチを打つ前後の瞬間に攻撃されたら、ひとたまりもなく倒されてしまう(踏ん張ることができない)」ということである。

 よく、「必殺技を繰り出す前後に無防備な瞬間がある」というような設定のマンガを見かけるような気がするけれども、そんなことを今更ながらに思い出す「強いパンチを打つ方法」(物理編)なのだった。

中国四千年の「強いパンチを打つ方法」の弱点中国四千年の「強いパンチを打つ方法(物理解説編)」中国四千年の「強いパンチを打つ方法」






2010-05-18[n年前へ]

柔道技にはタイミングが重要だ!? 

 衆議院内閣委員会での三宅雪子議員の話ですが、遠くから足元を写した動画を見れば、(A)押されて、よろめいた初鹿明博議員の右足が(B)三宅雪子議員の少なくとも右足を後ろから払いのけ、足を後ろから払われた(おそらく(C)押しつ押されつでバランスが不安定になっていただろう)三宅雪子議員が前に転ぶ、という順序だということがわかりやすく納得できるように思います。
 これら、(A)(B)(C)のいずれも、結果を生んだ原因と言えば原因ですが、三宅議員の転倒は、それらが組み合わさって生じた偶然が生んだ現象という気もします。また、(A)の遠因もさらにあるわけですから、足元を写した動画を丁寧にテレビで放映し直せば、話が想像話で空回りせず、すぐに話題が収束するだけような気がします。

 タイミング次第で、格闘技の技は見事なくらいに決まるのだろうな、とこんな動画を見るとつくづく感じさせられます。大の大人を見事なダイブをさせてしまうことも、呼吸が合えばいともたやすくできるのだろうな、と思わされます。

2012-04-22[n年前へ]

(競技場の)明るさをJIS規格で比べてみると、明るさ選手権は「格闘技の舞台」がナンバー1! 

 学生の可能性を可能にするポータルサイト ワンダーノーツに『(競技場の)明るさをJIS規格で比べてみると、明るさ選手権は「格闘技の舞台」がナンバー1!』を書きました。

 ためしに、「この明るさ(照度)にしなさい」という決まりを、競技場の(一番明るい場所を)明るい順番にトップ5を並べてみると、つまり「明るさ選手権」を開催してみると、こんな具合になります。 ちなみに、プロ野球など向けには、内野や外野…など場所によって「明るさの決まり」は違っています。 (たとえば、プロ野球の外野は”内野よりかなり暗い”1200ルクスと決められています)



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