hirax.net::Keywords::「老人」のブログ



2008-01-20[n年前へ]

「海」と「椅子」 

 冬の田舎の海沿いには、こどもと中国人しかいない。春から秋までの間は、こどもと中国人に加えて、カップルと年老いた人たちもいる。

 田舎道では、色んな「椅子」がそこらかしこに置いてある。寒くない季節には、年をとった人たちが、いつもその椅子に座り、目の前の景色をずっと眺めている。中学生や中国人が、自転車に乗って、椅子の前を風のように通り過ぎていく。

 空から地上を照らす太陽は一時間に15度ほど動く。太陽が地面に形作る影は、正確な日時計となって、ただただ流れる時間を示している。

 椅子の前を、自転車に乗った人や、木々や、防波堤の影だけが動いていく。

冬の海冬の海冬の海冬の海冬の海冬の海






2015-03-05[n年前へ]

未来に失われる「今この瞬間」に没入できる「この瞬間を記録しておくこと」は、きっと未来の役に立つ 

 SIGGRAPH2015の没入感コンテストみたいな「没入感コンテンツ」を作るなら、個人的には「実写は使わない」。だって、どこかに行けば本物が存在する”コンテンツ”だったとしたら、本物の方がずっとリアルだし・豊かだし、その本物と再生物の間にある差分としての「物足りなさ」を感じちゃうだろうし。

 だから、たとえば「昭和の日本の景色」みたいな、もう行くことができない場所に行けるコンテンツならば、とても体験してみたいと思う。もう今は存在しない60〜80年代の東京、数え切れない人たちが生活していた香港九龍城、廃墟となる前の軍艦島、90年代のバンコク…何だかそういう没入感コンテンツこそ眺めてみたい。(参考:昭和が古臭く見えたり懐かしく思えるのって写真の画質のせいだよな?

 かつて自分がよく知ってた世界を眺めると、色んな記憶が鮮明に甦る。…だから、GoPro6台リグとか、Ricoh Theta m15みたいな全天周動画を撮れるカメラで、普通の場所を意味無く撮り溜めておけばいい思う(昨年11月のチェンマイ・ロイクラトンは、そんなGoPro6台リグ野郎達が溢れてた。韓国から来たGoPro6台リグでステレオ撮影していた野郎は熱かった。…しまった名前聞いとけば良かった。<−3m三脚の上にTheta取り付け撮影してたわたしもたぶんその野郎のひとりだ)。そうすれば、20〜30年後、その世界に没入し・症状が改善する将来のボケた老人(それはつまりは将来の自分自身のことだ)だってとても多いだろう。

 今、Google Street view carが走り回って写し続けてるこの瞬間の360°の街並みの数々は…きっと十年・二十年先に、貴重なメディカル・マテリアルになっているに違いない。Google Medical health care centerとか、数年先に立ち上がってても、全然違和感ないかも(Google社員が読んだらら鼻で笑いそうだけど)。

 で、3丁目の夕日的なかつての昔あった世界をレンダリング生成し甦らせる技術を持っている人たち作り上げるコンテンツが、数年先には、(多分)認知症治療とかその手の業界で普通に使われ・役立っているんだろう、と思う。それは、機械・光学・物理技術が現在の医療を作り上げてきたけれど、将来は情報技術がその役割の少なくない割合を担っているという具合だろうと考えてみたりする。



■Powered by yagm.net