hirax.net::Keywords::「評論家」のブログ



2002-10-27[n年前へ]

今日の思い出し笑い 「ひろくんの悩みごと」編 

 もちろん、ロボ鈴木さんは他のサイトの日記なんかあまり読まない人(ロボット)なわけである。で、ある朝こうワタシに呟くのだった。「誰かプロの作家か評論家が、わきさんの読書日記をけなしたり批評したりしたのかなぁ。へんなの〜。」 思い出したきっかけはもちろん「わきめも&お笑いパソコン日誌」(リンク

2004-04-16[n年前へ]

新聞の社説をグラフにしよう 

新聞の社説をグラフで眺める テレビを眺めると、新聞の社説を一列に並べている。写真では判りにくいけれど、「政府の対応」と「家族の対応」という二項目に関し、「批判」と「批判せず」の度合いで新聞を並べていた。これはなかなか面白いグラフ化だ。それぞれの新聞の立ち位置が見事なまでに判りやすい。

 そういえば、新聞の社説というのが今ひとつ判らない。もし、自分の勤務先の会社が「社説」なんていうのを打ち出し始めたら、とてもイヤな気がするのは私だけか。メーカーなら製品でものごとを語ったり、小説家なら小説でものごとを語ったり、新聞なら記事でものごとを語るべきだと思うのだが。評論家じゃあるまいし。

2005-01-03[n年前へ]

「あしたのジョー」が顔を向ける「左の未来」 

ꓨ꓉맦ꇗꖰꗫꆼꗗ꓎균꒢꒷꒿꓎ꖸꗧꆼ귡꓏躤꓉꒳꓇뎥꓋꓊꓃꓆꒷ꓞ꓃꒿꓎꒫あしたのジョー「あしたのジョー」「マンガの深読み、大人読み」 「夏目漱石の孫の」というより「マンガ評論家の」という方が自然になった夏目房之介の「マンガの深読み、大人読み」では、ジョーとホセの試合で彼らが右に位置したか、左に位置したかを、そして、その左右の位置がどう入れ替わっていったかを考察し、さらに次のように書く。

右から左方向へと読む日本のマンガ文法でいえば、基本的に右から左へと時間は展開し、事件がおこる場合には左方向へと人物が解決に向かう。逆に主人公が右方向を向くと「戻る」「引き返す」という意味をおびることが多い。つまり、挑戦する「未来」は、常に左方向にあるのだ。あの「真っ白に燃えつきた」ラストシーンで丈は、やはり左方向を向いてほほえんでいる。(中略)燃えつきた「あしたのジョー」が、微笑んで顔を向けていた「未来」に、今僕たちはいる。

2008-01-13[n年前へ]

「誰にでもできる情報の見分け方」 

 仲畑貴志の「コピーの全部」を読んだ。本の後半に収められているエッセイ集が、新鮮だった。思わず記憶が蘇えるヒットしたコピー文も懐かしかったけれど、初めて読む氏のエッセイが、心に残った。

 情報社会などと言われだして、もうずいぶんの時が過ぎた。けれど、ホントに必要な情報、役立つ情報、心に届く情報はそう多くはない。
 近頃、僕は、情報との接し方について面白いことを発見した。一、二年、古い情報を、今読む。経済動向も、トレンド情報も、景気予測も、どれもこれも「オミゴト」と言えるものは、ほとんどないに等しい。
 …従来なら捨て去っていた新聞や雑誌を取り置いて、あなたも評論家の予測を採点してみてください。言いっぱなしの書きっぱなしで、一切結果に触れず、ただ僕たちの心を騒がくして行くだけのセンモンカが、すぐに発見できる。

仲畑貴志「誰にでもできる情報の見分け方」(P.244)



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