hirax.net::Keywords::「論理」のブログ



2009-02-24[n年前へ]

矮小化されない複雑な世界 

 森達也の 「視点をずらす思考術」より

 事件や現象はそんな一面的なものじゃない。もっと多面的なはずだ。…そしてその帰結として、事象や現象はかぎりなく単純化される。
 こうして、世界はメディアによって矮小化される。そしてこの矮小化された単純簡略な情報に慣れてしまった人たちは、複雑な論理を嫌うようになる。つまり胃袋が小さくなる。輪とはもう悪循環。わかりやすさを好む視聴者や読者によって、メディアは事件や現象の単純かを当たり前のようにこなし始め、そのスパイラルが加速する。

p.137 「人間が宗教を必要とする理由」

2009-04-12[n年前へ]

読む人が真似をしたくなる江國香織の「作文術」 

 江國香織の文章は、本当に的確で、読んでいるととても気持ちが良くなる。文字をそのまま追っていくだけで、書いてあることが「すぅっと」頭の中に収まってくるし、それでいて何度読み直しても新鮮だ。

 江國香織が22人のインタビューイに「子供のころの話」を聞き、それを文章にした「十五歳の残像 」を読むと、そんな感覚をどの頁・どの行からも感じることができる。たとえば、 「すとん、と伝えるひと――――安西水丸さん」ならこうだ。

 理屈では説明できないこと、というのがある。とても簡単なことなのに――――とても簡単なことだから、と言うべきかもしれないが――――、説明はできない。
 たとえば。
 わかります、と、私は思わず声を大きくしてしまう。一体何がわかったのか、どうわかったのか、はよくわからないままに。
 なんの理屈も説明もなく、ただすとんと胸におちてくる。
 江國香織の文章には、とてもわかりやすく納得させられてしまう。そして、不思議に心地よい。

 江國香織の文章の恐ろしいところは、彼女の書いたものをよむと、その江国香織の「文の調子」「文体」を無意識のうちに真似しようとしてしまうことだと思う。もちろん、そんなことは誰にもできない、のだけれど。

2009-06-16[n年前へ]

人は好んで「論理」ということを口にするけれど 

 轡田隆史の『「考える力」をつける本 』から。

 人は好んで「論理」ということを口にするけれど、早い話が、それは「直観」を筋道立てて説明することにすぎないのではあるまいか。 (p.200)
 「論理」という言葉も、普遍的な論理もあれば、主観・直観が姿を変えた「論理」もある。

2009-08-09[n年前へ]

「後悔しない意思決定」を決める「合理性」と「非合理性」 

 「後悔しない意思決定 (岩波科学ライブラリー) 」を興味深く読んだ。この本には、なるほどと強く納得させられる部分と、何かひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分、そんな相反する2つの「感じ」をともに強烈に感じさせられた。

 はじめに、「ひどくもの足りなく感じる(説明が欲しくなる)部分」を書けば、たとえば、こんな部分

 本書は合理的とは何かを問い、合理的に生きることによって後悔しない意思決定を推奨する本である。
 本書では、人は合理的であることを前提としています。そして合理的であろうとすれば主観的期待効用モデル(「最適な決定は、効用の値をもっとも大きくする選択肢を選」という考え方にもとづくモデル)にもとづいて決定すべきであると主張しますが、・・・
という辺りだ。こういったことを前提として、「合理的に」本で書かれていることがらを読み進めていけば、当然のように納得できる。けれども、人が「どうしてか」少なからず合理的に考えられないことがある以上、上に挙げたような前提・言葉を受け入れるために必要な「何かワンクッション」が足りないようにも感じてしまう。

 だから、たとえば、本書冒頭の言葉、

 本書は、意思決定をする際にさんざん悩み、しかも、決定した後で悔むような人のための指南役を目指すものです。
に惹かれて頁を読み進めていくとき、「合理的に考えるとこのようになる」といった解説・解決策を提示させられたとしても、論理的でない部分で(端的に言えば感情的な部分で)胃にもたれてしまうのだ。合理的に考えれば納得できるのだだろうけど・・・と感じてしまい、なかなか納得した気持になれないのである。

とはいえ、「合理的に考えるべし」ということを「公理」として受けれ入れて、この本を読むならば、示唆に富むこと/アドバイスが実にわかりやすく書かれている。だから、論理的にはとても納得できる・役立つだろう本で、人に勧めたくなる。ただし、非論理的な部分(のために足りない何か)を補う「あともう一冊」を適当に選びたいとも思う。・・・たとえば、それはどんな本だろう?もしかしたら、たとえば、それは小説家のエッセイ辺りだったりするのだろうか。

2009-12-16[n年前へ]

人間は論理・合理だけではうまくやっていけない 

 「阿川佐和子の会えばなるほど―この人に会いたい〈6〉 (文春文庫) 」中の、数学者というか、エッセイストの藤原正彦の言葉から。

 藤原:人間は論理・合理だけではうまくやっていけないんだと。マルクスのような大天才が作った共産主義も論理的には非常に美しい。しかし、七十四年間、ソ連が実験して大失敗に帰した。それは人間と言う種には不適切だったからなんです。
 「理系サラリーマン 専門家11人に「経済学」を聞く! 」の小島先生の2回分と合わせて読むと、とても面白く感じる。また、小川洋子の「博士の愛した数式 (新潮文庫) 」もさらに読んでみるのも面白いかもしれない。



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