2000-09-28[n年前へ]
2001-09-28[n年前へ]
■昼休み(+α…)
昼休みに銀杏を拾いに行く。来年、定年を迎えるOさんが銀杏を拾える秘密の場所を私に伝えておきたいというわけで、昼休み(の三十分前…)に呼び出され、そのまま会社の敷地を横切りトコトコと林の中へ歩いて行った。
こんな昼も良いかもね、たまには、と歩きながら思った。
と、思ったら一時間後、「来週は栗拾いだぁ」と言われた…。何が定年だか…、私よりずっと元気だぞ、と。
■今日見た景色 真昼に空を見上げると
というわけで、散歩の途中で。(リンク)
■Virtual PC for Windows
でWin95をインストールした(社内標準OSだから…)。と、ポインターの位置とクリックする時の位置がずれる…。
理由がよく判らなかったが、めんどくさかったのでWin98をインストールしたら直った。どういうこと?
2002-09-28[n年前へ]
2003-09-28[n年前へ]
■今日書いた職場へのメール
ひらばやし@New Orleansです。今日は講習会の一日でした。Ice Breakerのパーティーでは異文化コミュニケーションの難しさをつくづく感じます。リコーの二人と一緒にメリケンさんを拉致し、「三本の矢は折れない作戦」でガチガチの凍りきったトークを試みましたが、三本の矢が次々に折れまくりの苦戦中に仲野さんが近づいてきて、その隙にメリケン捕虜に逃げられてしまいました。さて、今回の会場の辺りはずいぶんと寂れた廃墟ビルが多いです。なんというか、ウェストサイドストーリーのでチンピラ達がナイフを持って対決していそうな街並みが続いています。うーん、もっとわかりやすく言うと、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のプロモ・ビデオでゾンビ達が踊りまくっていたような通りが続いています。この街並みでチンピラやゾンビが出てこない方が間違ってるくらいだと思うのです。昨日は街を歩いていていきなり「自然が私を猛烈に呼び始め」、ディスコのトイレへかけこみ放水活動にいそしんでいると、背後からいきなりマイケルタイソンみたいな巨漢が「アメリカンなふぁっきんなやり方を教えてやるぜ、ベイベー」と意味不明に私に唸りはじめて、私を呼ぶ自然の声もいきなり遠ざかってしまいました。教えてくれるのがなんのやり方か知りませんが、ノーサンキューのココロだったのです。今考えてみると、放水活動のやり方のことだったような気もするのですが、どちらにしてもノーサンキューのココロです。というわけで、無視してしまったわけで情けない最悪なパターンです。
■Jazz三昧
昨日も今日もCanon Life Sciences Inc.のCEOの財布で飲みに行く…。それにしても、ジャズだらけったらジャズだらけ。この時間でも外から中からジャズが響いてくるぞ、と。
2004-09-28[n年前へ]
2005-09-28[n年前へ]
2006-09-28[n年前へ]
■「綺麗なフォントレンダリング」と「想定ユーザ」
Tech総研ブログ 平林 純@「hirax.net」の科学と技術と男と女に「綺麗なフォントレンダリング」と「想定ユーザ」を書きました。スラッシュドットの「gdi++.dll」に関する記事を読んで、ふと感じたことを書いてみました。記事の冒頭に書いたように「この手の技術を嫌いというわけではない」というのも本当です。むしろ、「好き」と言っても良いかもしれません。ただ、下の引用文のように考えていることも、また本当です。
この手の技術は「想定ユーザが広くない場合に有効な技術で、一般的に使える技術ではない」というように捉えています。つまり、「想定ユーザを広く考えるような会社」であれば、容易には出しえない(出すべきでない)技術だと考えています。
2008-09-28[n年前へ]
■アンディ・ウォーホルと"inter view"
"double meaning"で、その二つの"meaning"が相反すること、にいつも見とれる。二つの重なる言葉、けれど、それらがまるで反対のことを意味する言葉が好きだ。なぜなら、それが現実だから、だと思っている。もしも、片面しか見せないものがあるとしたら、(このフレーズは何度も書いているが)映画のセットのように薄っぺらいものでしかない、と思っている。"inside out"なんていう言葉が好きな理由は、そんな気持ちからだ。
アンディ・ウォーホル・ミュージアムで、ウォーホルが創刊した「インタビュー(interview)」誌が壁の一面に並んでいた。多くの観客は、表紙に描かれたインタビューイの表情を眺め、それが誰かを確かめる。そして、傍らにある本棚からそのインタビューイが語った言葉を眺めている。
その雑誌「interview」というタイトル・ロゴは、デザインのせいか、どれもすべて"inter View"という風に見えた。「内面を覗いたもの」というタイトルの雑誌と、アンディ・ウォーホルの「僕を知りたければ作品の表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉、そのまるで反対の言葉、"double meaning"な言葉がとてもいい。
「表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉は、その「裏側の実在・裏側に惹かれる心」があってこそ、の言葉だと思う。「表面だけ」で「後ろに何もなかったとしたら」、それは後ろに倒れてしまう。・・・だから、と書き続けるには論理的に飛躍があるけれど、「表面だけを見ればいい。裏側には何もない」という言葉が意味を持つためには「裏側の実在・裏側に惹かれる心」という方向性がなくてはならない。つまり、これは一種のパラドクスな言葉である。それが、実に的確だ、と思う。



