hirax.net::inside out::2008年06月10日

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2008-06-10[n年前へ]

「他人の気分推定機」と「カルマンフィルタ」 

 よくある制御工学の教科書がわかりにくい大きな理由は2つあると思う。まずひとつ目の理由は、読者としての私の理解力が低く、頭が悪いという根本的な問題である。そして、もうひとつの理由は、すでに綺麗に証明された問題を、その綺麗な数式の記述・順番で説明していく、という本が多いことにあると思う。その綺麗な証明にいたるまでの試行錯誤の説明がないと、「そういった数式をなぜ導出するに至ったか」といったことや、「その数式を使って、本来(さらにその先)何がしたいのか」ということがわかりにくくなってしまうと思う。ひとことで言うと、エレガントな証明とわかりやすい説明は違う。少なくとも、私のようなおばかな人間にとっては、そう思う。

 制御理論の教科書で、何だか読み飛ばしたくなる「状態量オブザーバ」「カルマンフィルタ」なども、それを例えるなら、単に「他人の気分推定機」に過ぎない。一見難しそうな言葉を使って書いてある数式も、そこに書かれている内容を例えていくなら「"直接知ることができない"他人の気分をいかに正しく安定して推定するか、というフィードバック機構」に過ぎない

 「他人の気分・他人の心の中」というものは、(少なくとも現在の技術では)外からは計り知ることができない。そこで、「この人はこんなことを考えているのかな?」と想像(推定)しながら話をしてみる。ところが、「その人の顔色や話す言葉からは、何だか”その人の気分”が私たちの想像とは違う」という感じがする。……それなら、「この人は”もう少し気分が悪い”と考えておいた方が良さそうだ」とか、その逆に「この人は想像していたより”少し気分が良い”らしい」と想像上の「他人の気分・他人の心の中」をちょっと訂正するのが「オブザーバ」である。

 そして、その人が結構ウソをつきがちだったりした場合の「他人の気分・他人の心の中推定機」が、カルマン・フィルタだ。「この人はこんなことを言っているけれど、(こういったジャンルの話では)この人は言うことと・心の中とこの人は違うことが多いから、ちょっと言葉を聞き流し気味に捉えておいた方が良さそうだ」といったことを考えつつ、「他人の気分・他人の心の中の推定量」を(より正しそうな)フィードバック補正をするのがカルマン・フィルタである。

 それだけのことなのだけれど、教科書の数式の羅列を追いかけている最中には、そういう景色が見えてこないことが多いように思う。そんな不満足の解決をするためには、「歴史の教科書のように試行錯誤の過程に満ち溢れた、決して”エレンガントな証明本”でないような教科書」をどこかで手に入れて読んでみるしかないのだろうか。……それとも、根本的な一番目の原因「読者としての私の理解力が低く、頭が悪い」ということを直すことしか解決策はないのだろうか。