hirax.net::inside out::09月25日

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2000-09-25[n年前へ]

鬼束ちひろの「月光」 

 鬼束ちひろの「月光」を車の中で繰り返し聞く。

2001-09-25[n年前へ]

今更ながらのツキアイゲノム  

 だって。(リンク

今日見た景色 今日の富士山 

リンク

今日の、も・もしかして… 

 私「何か小さなファイルを開いて頂けますか?」「じゃぁ、自分は小さめのやつを開きます。」「ちょっ、ちょっと…、も・もしかして…それ数メガはあるんじゃないですよね?」「そんな小さい画像ファイルの持ち合わせはありません。自分は今60MBのファイルを開くところです。」

2002-09-25[n年前へ]

どうしてニホンジンのオトコはオッパイスキ? 

 と、ユンソナが言ってた。あとは、「どうして人前でエッチな本を読める?」「どうしてそんなにワリカンするの?」

「木漏れ日」プラグイン「リン」 バージョンアップ 

 バージョンアップして、レイヤーの問題を解決したハズ。原因は初期化でのミス。初期化をミスると半透明の表示になるのがちょっと不思議。(リンク

できたかな? 

 プラグイン作成マシンと化したワタシのために、こんな制作日記が寄付されました。ありがたいことです。(リンク

2003-09-25[n年前へ]

戸田Books 裾野 

戸田Books 裾野戸田Books 裾野






顔料8色のインクジェット 

 エプソンのPX-G900。透明樹脂のグロスオプティマイザインクも使用。

トランジスタ技術 約14年分 

 入札して、会社帰りに持って帰ろうかな。

「もうチャートとかそう言う時代じゃないんです」 

 という言葉に対し、

チャートとはそれそのものの存在だけが意義なのではなくて、それが及ぼす有形無形の影響がその意義なのです。すなわち、チャートや数値化したものが雑誌に掲載されることは、読者に対する具体的な指針であると同時に、もしいい加減なものを出したときに、普通の人にも分かる形でそれを示すぞ、ゆめゆめおろそかにされるなよ、という意味にもなります。
という宣言

2004-09-25[n年前へ]

クラシック・ギター 

 850曲ものクラシック・ギターのタブ譜とMIDIファイルのClassical Guitar Tablature. from ishii-k の ChangeLog 日記

2005-09-25[n年前へ]

沼津千本浜 

 千本浜で海を眺めると、いつもと少し違う感じがする。よく眺めてみると、何隻もの巨大な船が視界に見える。台風を避けて、駿河湾内に避難しているようだ。何枚も何枚も色んな写真や、パノラマ写真を撮影した後で、帰宅後コンパクトフラッシュをカメラに入れ忘れていたことに気づく。眺めた景色は、陽が海面に差す、とても綺麗な景色。

「ニュースウォッチ」を卒業した時の気持ち 

リクナビNEXT/リクルートの転職サイトinside out 先日、東京駅近くで飲んでいて、あやうく最終の22時46分発三島行きのこだまに乗り遅れそうになった。その時、Tech総研の「ニュースウォッチ」 「ブログ」に変わった時の話を少しだけした。例えば、形式が変わって(編集担当者からの注文が変わって)書き方をどう変えたか、なんていう話などをしたような気がする。
 「ニュースウォッチ」には「(少なくとも書き手にとって)新しいこと」を書くこと、そして、「自分の関連サイトにはリンクを張らないこと」という二つの決まりがあった。「ニュースウォッチ」が「ブログ」に変わった時、その決まりから自由になったのが一番(私にとっては)大きい変化だった。なぜなら、私は「新しいことを書くこと」が苦手であるし、それと同様に「他の人に関することを語ること」も苦手だったからだ。だから、少しスタイルは変えたい、と思っていた。
 とはいえ、それは「思っている」だけで、「ニュースウォッチ」が「ブログ」に変わったところで、結局は同じ轍を踏むような気もする…のだけれど。

他人が作ったニュースインデックスは少なくとも、他人のものに違いない。 もっとも、それが新聞社や記者だけのものかと問われれば、そもそも「そのニュースは誰のものか」ということを考えなければならない。「他人の作った人生を流して商売をする」というのはどういうことなのか、と考えなくては…
(私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は「僕ら自身」と全て置き換えられるに違いない。   「テレビニュース」が世の中に与える影響は? -> 悪い   「テレビニュース」は信用できる -> No   「テレビニュース」はあなたの人生にとって          なくてはならないものですか? -> Yes

2006-09-25[n年前へ]

hirax.net@コンビニストア 

Title 技術評論社から出版された「史上最強科学のムダ知識」のコスト削減(カラーページや北朝鮮ネタ削減)&原稿修正し直しバージョンが、今度はコンビニストアで販売されます。今週辺りからローソンから店頭発売され、その後セブンイレブンなどに展開する…ということらしいです。それにしても、技術評論社の本もコンビニストアに並ぶ時代なんですねぇ…。

「私たち自身」@みんなの意見 

 from n年前へ.

 (私たちのイメージの中の)「テレビニュース」という言葉は、「私たち自身」という言葉と入れ替えることができるに違いない。
 「テレビニュース」が世の中に与える影響は?
     -> 悪い
 「テレビニュース」は信用できる
     -> No
 「テレビニュース」はあなたの人生にとって
  なくてはならないものですか?
     -> Yes

2008-09-25[n年前へ]

THE LAST LECTURE のビデオの「聞こえないひとこと」 

 目の前でマジシャンが手品をする時のように、目の前ですべてが見えているようで、けれど実はその陰に見えないものが潜んでいる、ということは多い。その隠れているもの、隠れていた言葉をふと聞いたとき、見ていたはずの景色・仕草の重みを実感することがある。

 Randy Pausch のTHE LAST LECTUREを読んだ。一番印象的だったのは、Jai がバースデーケーキを吹き消した直後のシーンだ。会場の聴衆の声・ざわめきを遠くに感じながら、RandyとJaiがケーキのろうそくを消した後のシーンだ。

We heard them, but it was like they were miles away. As we held each other, jai whispered something in my ear. "Please don't die."
 ビデオを見直せば、Jaiとキスをして抱きしめあったあと、Randy Pausch は一瞬、それも、決して短い時間ではない長い間、左の方、つまりはJaiから顔をそむけたことに気づかされる。耳元で囁(ささや)かれた「死なないで・・・」という言葉を聞き、ただ顔を背けるしかなかったのだな、ということを知ると、何気ないそのシーンにのしかかっていた重みに気づかされ、心を動かされる。

2009-09-25[n年前へ]

湯治宿に泊まる夢 

 今日も飽きずに温泉街に行く。通りに面した昔ながらの射的場があったり、美味しそうな蕎麦屋があったりして、この温泉街に長居したくなってくる。

 一泊二泊程度ではなくて、せめて十日間、できれば一か月くらいは滞在してみたくなる。そんなことを考えながら、温泉共同浴場の番台横で涼んでいると、湯治宿を紹介したチラシが置いてある。

 いつか、自炊設備のある湯治宿に長逗留してみたいと思う。昼過ぎに、地元の美味しそうな素材を何か一品買って、それを料理してつまみにし、ビールを飲んだ後に、温泉につかってみたい。

 たとえば、この伊豆長岡温泉なら、近くの魚屋で海鮮物が安く買えるから、そんな海鮮料理を一品作り、それをつまみながらお酒と温泉を楽しみたい。そんな生活をひと月くらいするのが(実現しそうにない)夢のひとつだ。

 しかし、湯治宿に泊まった時のことを思い出してみると、必ず「お酒を飲んだ後はお風呂に入らないこと」と書いてあったような気がする。昼間からビールを飲んで湯につかり、温泉卵のように心地よく茹でられる・・・というのは、湯治とは相入れないものだろうか。やはり、食後の一杯くらいにしておくべきなのだろうか。

2013-09-25[n年前へ]

「駅ホームの黄線ルール」と「友だち以上でも友だち以下でもない」 

 鉄道のホームには「ここから先にはいかないで下さいね」という黄線が引かれています。ホームで列車を待つ時は、その黄線より内側にいなければなりません。それが黄線が示す「ルール」です。

 そんなルールを念頭に置いた上で、東急東横線の菊名駅のホームに立ち渋谷側寄りに歩いて行くと、そこにはまさに「矛盾」が立ちはだかります。ホーム端部はとても狭くなり、ホーム両端に引かれた2本の黄線が…いつの間にか1本に合体してしまうのです。黄線を境にして、どちらが外側なんだか内側なんだかわかりません。というか、もう、どちら側の両側も全部が全部「外側」です。

 ホーム上の黄線が、そこより(ホームの)先には立ってはダメよ!というメッセージを伝えるサインだったとしたら、ホーム上に1本の黄線だけが延びていたならば、「その黄線上に立ち続ける」ことしか許されなくなります。…とか、黄線の上を歩きながら黄線の上を眺めていると、こんなフレーズを思い出しました。「好きな女の子にラブレターを書いたら、”(あなたは)友だち以上でも、友だち以下でもありません”という返事が返ってきた。…ボクって、つまり何?存在し得ない存在ってこと?」

 ホームの黄線の上を、サーカスの綱渡りのように歩きつつ、そんな言葉を思い出します。

2016-09-25[n年前へ]

無限に続く「上昇と下降」をピアノとエッシャー版画で味わってみる 

 20年近く前、無限に上昇・下降し続ける「無限音階」を作ってみた。まるで、エッシャー(M.C.Escher)が何種も描いた無限に続く「上昇と下降」の版画を目で眺めた時のように、無限にただ一方向に上昇と下降が続き…けれど、いつまでも同じあたりの場所を廻り続ける音が奏でる「上昇と下降」を聴くと、何だか不思議な気持ちになる。

 エッシャーが描いた「無限の階段」の版画も、ピアノが奏でる「無限の音階」も、美術と音楽の違いはあるにせよ、ほぼ同じようなテーマだ。そんな同じモチーフのものは、共に味わってみたくなる。…そこで、今日はYoutubeにあったエッシャーの「上昇と下降」を3次元的に表したビデオに、ピアノが響かせる「無限音階」を重ね合わせてみた。

 今朝起きて、「エッシャーの無限階段」と「無限音階」を組み合わせると面白そうだから、そんなものを作ってみよう!と考えた。そして、それ風のものを作った後に、「エッシャー 無限音階」でGoogle検索してみると、同じことを考える1998年の自分がいた。…エッシャーの版画世界を眺めてみよう!と思ったけれど、どうやらその世界で歩き続けていたのは自分自身だったようだ。上昇か下降かはわからないけれど、少し不思議な気持ちになってくる。